そんな2年生を送り、3年生。

担任は同じだった。

成績下位をのらりくらりしながら現国だけは人並みの成績だった。

進学校なので、ある程度進学実績を残させようと大人たちは必死だった。

私の成績では四年制大学は難しそうだった。

特に就きたい職業もなく、勉強したい分野もない。

親は大学でも専門学校でも自分がやりたい事を見つけて進めばいいと言ってくれた。手に職つけた方がいいよ!とも。


その頃、推薦入試で現国だけで受験できる短大があった。

私の成績では進学が難しそうと判断したのか、学校からこの短大を推薦するので受けたらどうか?と担任に言われた。

休みがちで遅刻と早退が大量な上に、学校のテストが欠点だらけで補修で学年を上がってきている私が推薦なんて無理でしょ!と思ったが、あれよあれよと言う間に推薦の話が進んだ。


現国で受験して合格した。

保育科だった。親の手に職つけて!からは少しズレているが、保育士になれるならとお金を出してくれた。

学校は短大ではなくもっと上の学校に行かせたくて、四大も勧めて来たが、裕福ではない我が家が何校も手付け金を払うのは難しかったので、他の学校を受けずこの学校に行く事にした。

担任は保護者を呼んで来い!と焦っていたが、母も交えた懇談で、娘が受けないと言うのでこの学校にします。と丁寧に挨拶をして帰って来た。

後で聞いたところに拠ると、推薦するために出席日数とかいじったので担任は主任に怒られたらしい。

ズルするから。やっぱり人としてどうかと思う。

そして、私は保育士になった。


保育士になりたい!と思ってなかったが、元々人を観察したり、話したりするのは好きなので、この仕事が今も続いている。


高校時代の事。

今、思い出すと滑稽でもあるが、その時を生きていた私には、死にもの狂いで、毎日が翻弄されながら生きていた。

思春期の多感な年頃だったのもあったが、いろいろと心揺さぶられる事が起きていたとも思う。


高校時代の友達とは時々連絡している。

私は短大だったので一足先に社会人となった。

あんなに勉強をがんばって大学に進んだ人でも、中退したり留年し続けて卒業できなかったり、バイトにのめり込んで大学辞めたりといろいろな人生を歩んでいた。

そんな彼らを見ていると、勉強の物差しって万能じゃないんだなーと20代の私は悟った。


自分の子は勉強より人生の豊かさに目を向けてほしいと子育てしてきたつもりだ。

できているかはわからないが。

まぁ我が子がそこそこ自由にやっている現状を見たら、大筋は外れてないかと思う。


こないだ、実家でふと私が高校時代に不登校になりかけた時の話が持ち上がり、カンニング疑惑について初めて家族に話した。

母は「なんであの時に言ってくれんかったの!」と悔しそうに言った。

「する訳がない」

母のその一言であの頃の私が救われた。    完