一滴の水だったものは海に注ぐ。
一握の塵だったものは土にかえる。
この世に来てまた立ち去るお前の姿は
一匹の蠅――風とともに来て風とともに去る。



この永遠の旅路を人はただ歩み去るばかり、
帰って来て謎をあかしてくれる人はない。
気をつけてこのはたごやに忘れものをするな、
出て行ったが最後二度と再び帰っては来れない。



朝風に薔薇の蕾はほころび、
鶯も花の色香に酔い心地。
お前もしばしその下蔭で憩えよ。
そら、花は土から咲いて土に散る。



君も、われも、やがて身と魂が分れよう。
塚の上には一基ずつの瓦が立とう。
そしてまたわれらの骨が朽ちたころ、
その土で新しい塚の瓦が焼かれよう。



オマル・ハイヤーム 小川亮作・訳『ルバイヤート』より引用


唐突に初っ端から引用させていただきましたのは、ペルシアのレオナルド・ダ・ヴィンチとも評される様々な偉業を残した学者である詩人、オマル・ハイヤームの四行詩です。

さて、この廻る自然と生命の理を語った詩を何故引用したのか。ご説明いたします。

運命論者というわけではありませんが、大きな変化というものはゆっくりひたひたと押し寄せ、ある時、ひとつの大きな波となってやってくるものと考えています。

減光してきた恒星が、あ、そろそろ超新星爆発起こすかも?と噂されるように(アリ?何だか風情のない喩えに…)
今年2020年の10月は、我が不可思議堂にとって、廻る自然の理とやらを改めて見せつけられた、目眩く季節となりました。

この10月の間に起きた、三つの大きな出来事をお話ししましょう。

順序だってご説明しますとーー

まず、当ブログでも度々登場する剛腕の母上様が脳梗塞で入院されました。
こちらは先に占っていたこともあり、一番最短の手を打つことができたり、検査前に入院セットを準備できたりと、やはりな…といった雰囲気でのものでしたが、なんと言っても母上様にとってはお産の時以来の入院。
それはそれは本来降圧剤で落ち着く筈の血圧も、緊張で下がらない。
一人暮らしも点滴も苦手なものだから、下がるものも下がらない。…と苦労を重ね、退院が決まったことで一気に血圧も安定してしまう、というある意味精神的な戦いに明け暮れた二週間の入院を終えた母上様は、剛腕でない母上様となって帰ってきました。
こちらの"剛腕"は立派な二の腕の持ち主の母上様がひょろひょろの腕になって帰ってきたという意味ではなく(半身に後遺症があるため、実際そうでもありますが)
力ずくで何でも押し切ってきた母上様が、器用さを必要とする生き方に変化したことを意味します。
元々器用なところもある人ではありますが、なにぶん根っこが不器用な頑張り過ぎ屋のやり過ぎ屋の音楽脳の母上様です。
こちらも気が気でない思いになることも多々…お互いに疲労してしまわないよう、限度を学ぶという効率のよい器用な生き方を学習していただきたいところですが、「限度?なにそれ、美味しいの?」とでも言いかねん母上様です。まあ焦らず、ゆっくりと慣れていかねば、ね(笑)
まだ後遺症による身体の状態とこころの折り合いもついていなくとも当たり前でしょう。
ゆっくりと、慎重に新しいやり方になれていきましょうね、母上様?何度でもいうが、飛ばし過ぎはいかんぞ?やり過ぎるなよ?(笑)
こちとら車椅子だからな?役に立てるようできるだけ頑張るが、お互いリハビリして、できることを補って支え合おうな?


そして二つ目。
その母上様の入院の2日後、今度は我が不可思議堂に新しい家族がやって参りました。
まさか入院しているとは思いもよらず、母上様に助けを求めてやってきたご近所様から、敷地内に小さな仔猫が親猫に置いていかれてしまった、とのお話が降ってまいりました。
猫が苦手なご近所様の思考に恐れをなした父上様が早速救助に向かい、大奮闘の末、保護。
そのまま急遽ゲージとゴハン入れにトイレ、とバタバタと準備をし、我が家の家族と相成りました。

母上様への応援と神様からの贈り物、という意味を込めて、そのシャム猫風の仔猫はギフトと名付けられました。(勝手に私が命名いたしました(笑)けれども、一応思いついた名前で、イヴ、くま、しろくま、まろ、ギフトと呼んでみたところ、ギフトでゲージを駆け上がってきたのだもの、いいじゃないか、と勝手に決めてしまいながらも開き直っております)
凡そ一週間後には抱っこすることが可能となり(私のみ)母上様が退院する前日にはそのふわっふわな毛並みを父上様にも触らせ、その翌日には退院してきた母上様にも抱っこされた程の懐こさを見せた新入り君がこちらです。


我が家のやんちゃ王の玉座に瞬時にお座りになられました新入りチビにゃんは、かなり強烈な個性を持っております(笑)
そちらは追々お話しいたしましょう(笑)



大きさはこのくらい。と言ってもこの黒猫のぬいぐるみのサイズがわからないとーーー思いきや、いい写真を発見。


かなりボヤけておりますが、なるぽんお兄ちゃんと比較するとこのサイズとなります。


少々膝掛け代わりのタオルが奇抜すぎるきらいもございますが(笑)なる兄のお腹に乗せればこのような大きさです。
しかし、とうとうなるぽんさんよ、君もお兄ちゃんだぞ。なる兄だぞ。『なるにい』…ふむ、なかなか呼びやすいな。
癒し担当が二人になった上に、ギフト君は既に将来の店長候補生にもなりました。
期待大、でございます。

ね?なる兄?

なる「…………」(真剣に台所を眺める)
あ、聞いてないな?おーい、オニイチャン?おーい、なるさんよ。それは君のゴハンじゃないぞ?


そしてこのギフトを保護した翌日、実は私にはひとつの連絡がありました。

その祖母からの連絡とは、祖父の容態が芳しくないとのことでした。
大分以前より少々祖母からの連絡も減り、これはこちらを心配させたくない状態だろう、と勘づいておりましたが、やはり祖父の呼吸が弱くなってきているとの報告でした。
そしてその後、母上様が退院した翌日の昼前に、祖母から父に連絡がきました。
昼前に、相当危ない状態、看護師さんもご家族が来られた方が、との話のため急遽父が向かおうとすると一旦落ち着いたとの話。
しかし顔を見ておいた方が良い、祖母と話してあげた方が良いとのこちらからの勧めもあり、当人も心配であったのでしょう、父上様は「よ」祖父は「ん」という阿吽の呼吸のような挨拶のみで顔を見て帰ってまいりました。

そして、その日の夕刻。
再度、祖母からかかってきたものは、祖父が眠りについた、との報告でした。

親戚中、本好きが少ない中、唯一の読書仲間だった祖父に、今までのありがとうをあるだけ改めて告げーーーその上で、一言こちらでも伝えておきましょう。

沢山助けてくれてありがとう、死にかけた時、絶対大丈夫だと言ってくれてありがとう、これからもよろしくね、じいじ。

そして、ねえね、大丈夫だよ。尚のご先祖様も一緒に守ってくれるから、安心してね。
一人だなんて思わないで、一緒に支え合おう。
今こそ、皆で支え合う才能を活かす時だよ。
(※ねえねとは祖母のあだ名です)


家族の旅立ちと新たな家族との出会い。
目眩く、やさしい廻る命たちにこころから感謝して、また一日一日を大切に生きていこう、と思い直した11月の朝でした。

以上!
まとまっていない上、何やらよくわからんのに長いが、おしまい!

不可思議堂