先日、我が家の母上様から記事にしろ!というより、記事にして!と命令なのかお願いなのか、何とも曖昧なご意見をいただいたための記事となります。
母上様と世間話をしていたつもりが、その話題のどこかしらがお気に召したらしく、よって自己満足ならぬ母上満足の記事となります(笑)

またもや何やら難しいことを言いだしたよ、と母にさえ面倒がられた場合は、やはり自己満足になるな(笑)
しかしまあ、依頼されたことはこなしましょう、と何事もノリとタイミング、というとある作品の名文の通りにつらつらと文字に起こさせていただきます(苦笑)



写真だけ先に載せとこう。

さて、題名の進化と退化、というものが今回の世間話のテーマなのですが、こちらは、人類の進化・退化についての話となります。
まず、事の発端は「音楽や芸術、文芸、映像作品について昔のものの方が良かった、と度々思うようになってきた」と私が母に報告したことでした。
この昔は比較的最近を示す昔で、私が小学生の頃を指した話となりますから、たかだか20年も経っていない昔となります。
この意見に母からの同意を得た上で、今度は"文化や歴史、人間は進化と退化を繰り返す"といった話題に移っていた頃、今度は母上様からこのような意見が投げかけられました。

「でも、ITなんかはずっと進化してるよ。」

この質問に私はいつも通りに、

「ITそのものはね。でもそれで人間は退化したとは言えないかい?(笑)」

と答えたのがどうやら母上様の謎のツボにハマったご様子でした。

そのため今回は、私個人の"IT産業の進歩による人間の退化"についてのお話となります。

因みに私はIT技術以外にも、色々なことが原因で退化していることは多々あると思うのですが、それは置いておきましょう(笑)
文明の進歩は便利さを与えてくれますが、世の中の一番単純で一番明解、かつ一番厳しい概念、リスク&リターンの仕組みからすれば、便利さを得るということは確実に違う何かを失うわけですからねえ。

さて、早々に話が逸れそうになりましたが、ITとはネットワークなどを駆使した情報技術、と簡単には説明できます。
現在、この記事を読まれている方も、膨大なネットワークという不可視の社会に漂流しているひとつの記事を見つけ読んでいるわけです。
そして当然ながら、読み手の皆様は文字をPCやスマートフォンの画面を介して"可視化"された言葉を読んでいるに過ぎません。
読み手の皆様は文面をなぞるのみで、書き手の私がどのようなイントネーションや話し方で書いているかをご存知でないわけです。
つまり、思ってもいない綺麗事を書いて実のところ舌を出すことも、また打算的に哀れんでもらおうと悲劇的なことを書いていようとも、或いはつらい状況でも笑わせようと明るいことを書いていても、勘の鋭い方でない限り、その本音には気づかない恐ろしい社会が身近に存在しております。
そして、本来の実際の対話の時でさえ、相手の微少な変化や説明はできない雰囲気の違いを理解することを忘れーー或いはその変化に注目する感覚が鈍磨しーーてしまい、"直感"という才能を失っていっているのではないか=退化しているのではないか、と予想しております。
科学的な根拠もなければ、一般論を否定したい訳でもなく、ただの個人的推論に過ぎないことをご了承ください(笑)
その点、私個人は他者の本音の方が少しばかり見えてしまうという、わかりやすく言えば"あ、コイツ思ってもないこと書いてやがる(笑)"や"この人、本当は悲しいんだな。"と気づくことができる程度には、その動物的勘(?)が損なわれておりませんが、この感覚もきっと偶然にも私は退化していなかったとも捉えられるわけです(笑)

そして同時にきっと"それらは人間に備わった防衛本能"とも捉えられることとなります。
他者(機械や植物も含む)の変化に気づくということは、常時、情報過多となり得る可能性があります。
実際、一のことから十以上、場合によっては数倍のことに気づくということは、その大半は不要な情報です。
つまりは、一を以て万を知る、というのは決してメリットだけではなく、むしろデメリットも多くなるということになります。
多大な情報から状況が読み解けたところで、自分ひとりの力ではどうしようもない時、そもそも解決策はないことまで理解できてしまった場合、それらから身を守る方法は"忘れる才能"となります。

また私個人の話となりますが、私自身はこの"忘れる才能"を特化させようと"意図的に忘れる"という興味のないことはすぐに脳内から削除する、というへんな癖をつけてしまいましたが、これは創作の人物ですがシャーロック・ホームズに等しい方法となりますのでおすすめいたしません(苦笑)

しかし、その"忘れる"というのは、なかなかに難しいもので、事実私自身も事故当初の映像を未だにフラッシュバックしてしまうこともあります(笑)
やはり"興味がないことは忘れる"と小さい頃、自分に設定したのがいけなかったかなあ。
実際死にかけた感覚というのは不思議な興味深いものだったから、忘れられる気はしないんだよなあ…。

では、忘れる機能を強化できないならばどうしたら良いのか。
そこから人間がある意味で進化したのが"そもそも気づかない"という才能なのかもしれません。
気づかなければ、そもそも入ってくる情報が少なくなり、思考に安定が得られる、といった防衛本能とも捉えられるのです。

けれども、何かを得る時には必ず何かを失うという当たり前の仕組みの通り、この防衛本能によって危険に晒されるものがあります。
それは"自分の考え"という原初からあったであろう貴重な才能です。

先のIT産業の進歩により、人は簡単に知りたいことを調べられ、簡単に理解することができるようになりました。
ただし、そのプロセスは直接的過ぎる上、無機質なものとなりました。
簡単に例えると、スマホで調べたいことの単語を打ち込む→するとそれに纏わる情報が大量に出てくる→大抵の人は上部に載った記事から読む、といった単純なプロセスとなります。
私が調べものをする際は、残念ながら私の知りたいことはネットに載っていない、或いは簡単に調べられないもののため、まずはやはりネットで、その知りたいことに連携することを述べている人の論文(賛成意見と反対意見)を閲覧する→その筆者の他作品や研究テーマ、筆者自身も調べる→その中の信頼がおけると踏んだ論文の筆者が参考文献とした本や絶版になっている古書を読む、といった方法となります。
このプロセスはきっと昔からの当たり前のもので、図書館で関連書の棚を眺めて片端から読むのと近いものかと思われます。
するとそのうちに、その作者の意図したいことや偏り、また事実のように書かれていたことが憶測でしかないことに気づくことも起きます。

この二つには、大きな違いがあります。
それは、自分でかき集め吟味した情報と、選ばず与えられた情報という決定的な差異を持った二つから"自分の考え"を発生させるところです。

"自分の考え"が危険に晒されるひとつの条件は、記事の情報を鵜呑みにして、筆者の意図をそのままに"自分の考え"と思い込む、という非常に簡単な洗脳システムです(笑)
これは意図せず洗脳する側に回っている方も居れば、意図して洗脳している方もいるでしょう。
現代社会でサイバー戦争が主流となる昨今、誰かに都合のよい情報ばかり検索結果の上部に出てくる、ニュースの見出しに出てくるというのは不思議でも何でもありません。

非常に便利な情報供給サービスとなったネットとテレビというものは、同時に非常にコンビニエンスなマインドコントロールの道具となったとも言えるのです。

このマインドコントロールがまた作用しやすい原因は、自分の意思で調べ自分で読んだ、という動作が理由となっている可能性もあります。
しかし、そもそもおすすめの記事にあった、或いはTOP画面に表示されていた、などで偶然読み、特に興味も持っていなかったことなのに、そのことに大きな怒りを覚えたり、不満を感じる、または素晴らしいことをした、と思うのも、"そう思うよう操作されている"場合があるのです。
自分で感じる感情もあるでしょうし、実際に共感している場合も勿論あります。
ただし、更に問題と思えるのは、ここから生まれる思考依存といった現象です。
今、勝手に思考依存と喩えましたが、この言葉が本当にあった場合はそちらの意味とは違う可能性が高いのでご注意ください(笑)
何せ、今思いついただけの表現ですので(笑)
この思考依存に陥った人間は、思考を無意識に他者に求めます。
自分で考えることを面倒くさがり、他者の思想に依存します。
そしてそのうちに、自分で考える方法を忘れていきます。
結果、人間のかたちをした他者のいうとおりに動き考える傀儡となるのです。
厄介なのは、この傀儡は自分が傀儡となっていることにも気づかないよう思い込まされていること、また人間ではありますから行動力やその他の機能は維持していることとなります。

これが私がはじめに話した"IT産業による人間の退化"の最終形態とも言えます(笑)
この最終形態は様々な思考に依存した結果となり特定のひとつにコントロールもされないため、マリオネットでありながら、その糸はとっくに切れていることとなります。
しかしながら、はるか昔の禅問答が、既に"自分で考えることを放棄した者への対処法"となっていることから、IT産業はそれを増長させた可能性もございますが、
実のところは文化が独創的なものになったり、似たり寄ったりで安心するものになったりするのと同じよう、人間はそもそも"依存への抵抗力"が衰え、また強まることを繰り返す進化しては退化し、だからこそ進化しなおす生き物なのかもしれません。
で、また退化して、進化して…冴えては鈍って…衰えては栄えて…
まっこと、愛すべき愉快な生き物なことよ…。

と、一応書いてみたが、オチているか?そもそもこれでいいのか?
と、私自身、この記事が母上様の指示がキッカケのため、依存した記事とも言えなくもないのでした(笑)

以上!!

というか、予想より長いがブログの文字数足りるかな…?(笑)

不可思議堂