長い上、珍しく真面目な記事のため、先になるぽんさんのお写真を載せておきましょう(笑)





ふと聴いていた曲の歌詞が、やはりいいなあ、と思ったもので、今回気まぐれな記事の更新となりました。
こちら、長澤知之さんの「只今散歩道」という曲なのですが、歌詞検索で何やらその歌詞が出てこないという結果になりました。

「捜し方が、捜し方が悪いのかなって 何回も負けそうになった
でも負けない そうなんだよ そうなんだよ そんな風に思えるのも君のせいなんだよ HiMiKo〜〜〜」

と一瞬、レキシのHiMiKoのフレーズが頭をよぎりましたが、そのHiMiKoの歌詞でも、
最終的には「でもやっと君を見つけたんだ 君は 君はずっとここに居たんだよ
そうね、君はずっと僕の心の中に居たんだよ」と解決していたことを思い出し、

ある程度間違っているかもしれんが、私の心の中ではこんな風に聴こえた!というものでの呟きとなります。

空耳アワー化していないといいな…。

聴くといつも一番最高で素敵な"気まぐれだけの散歩"に出かけたくなる長澤知之さんの「只今散歩道」
現在をあらわす只今と、挨拶の「ただいま。」を掛けている、言葉遊びにも長けた素敵な歌詞を作る方なのですが、その中でも特に気に入っているフレーズがこちらです。(空耳の可能性有。)

飛び飛びでの歌詞となります(笑)

"胸の奥の現実も この世の中の幻想も

ため息になって 星雲の彼方へ 失せてしまうもの


「お天道様ニャ関係ない」

通りすがりの野良猫が講釈

おれの反応を数秒見て

「あばよ。」と他所様の垣根をくぐる


只今散歩道 いつも通り 廻る廻る

只今散歩道 「ああだこうだ」は お帰り

無理に歩いちゃ 台無し

歩きたいところ 歩こう

地球と一緒に"


この歌詞の、まず「お天道さまニャ関係ない」と人間の雑多なもやもやした出来事や事変を、
野良猫はバシッと一言で講釈をするところが大好きなところです(笑)
私たちに一方的に「あたたかさ」「ぬくもり」「栄養」を与えてくれる"お天道さま"に、我々はお礼こそするべき立場ですが、
多少曇っただけで、やれ「洗濯物が乾かない」などと一方的に礼もせず小言をいう”人間様"が兎角多い世の中を至ってシンプルに野良猫が説き、「あばよ。」と格好良く去るシーンです。
野良猫の方がずっと精神性が高いことをあらわすフレーズに、とても澄んだ気持ちになります。

そしてまた素敵な言葉遊びで、
顕在意識でのいつも通りな散歩道の"おれ"は、いつも通りもやもやと気持ちも廻る廻る(笑)
しかし、地球といった大きな存在を意識した魂の方の自分(潜在意識)は、ああだこうだ言う自分には「お帰り」(帰れ!の意味の方ですね(笑))と厳しく対応します。

その後、

”そのころ東欧社会では ところでおとなり韓国では
今この時もアフリカでは ところが我々日本人は”

”人間様の寒い慈悲 届かないものしょいこんで自滅
人間様の俗な期待  叶わないものしょいこんで焦燥”

と、顕在意識と潜在意識を併せ持った気持ちで、冷静に呟きます。
現代社会の様々な問題をよく見つめつつ、それらに無関心な人間達も見つめ、ひとりの人間には敵わないことを望み、更に力のない己を嘆くような歌詞ですが、
同時に無関心な人々よりも、ずっと真剣に問題を考え焦燥してしまっている真面目さが感じられる言葉が並びます。
とても澄んだこころで、自分にも他人にも鋭く真面目な方がつくる歌詞です。

そして、厳しすぎると思いきや、そんな真面目すぎる自分と折り合う方法も知っているのが続きの歌詞となります。

"只今散歩道 路地で光ったアルミ缶
「ただいま」散歩道  おれの魂「おかえり」
どこへ行けばいいだろう
どこへでも行っていいんだよ
地球と一緒に"

"只今 散歩道
「ただいま、おかえり。」"

(こちらは最近発掘された、縦型ニャンモナイトです(笑))

最後には様々な出来事に振り回されて居た自分の魂に「おかえりなさい」と無意識の自分が温かい挨拶を歌います。
そして、嬉しそうに顕在意識が潜在意識に、「ただいま」と挨拶し、また潜在意識が顕在意識に「おかえり」と挨拶しあう、優しい終わり方をする歌詞です。
鋭くありながら、優しさを兼ね備えた素晴らしい名曲だと思っているのですが、この解釈は勝手な私個人の解釈なので、本当は全く違う意味かもしれません(笑)
しかし、そもそも私の身近でこの曲をご存知の方が居ないのだから、勝手な解釈しかしようがない!というか勝手な解釈くらい許せ!言論の自由だ!!と開き直させていただきます(笑)

因みにもう一つ、同じOffice Augustaさん所属の、澄み渡る特徴的な声の持ち主、村上紗由里さんの歌詞も載せておこうっと。

70年代のフォークのようなメロディを、若々しい素直な声で歌うこの方、見た目からしてお若いと思われるのですが、
歌詞やメロディ、声の裏にある想いは、戦後や昭和、平成、様々な時代を混ぜ合わせたような、素敵な感性の方です。
ちょっと今年の大河、いだてんみたいな声とも言えるなあ。

この長澤知之さんと村上紗由里さんの深い真っ直ぐさはやはり近いところにあるようで、
「風鈴の音色」という長澤知之さんの曲でありながら、歌っているのは全て村上紗由里さんという変わった曲が制作されている程です。
そちらは"自分の思いとは別に戦争に巻き込まれた人々が故郷の母親を思う"といった戦争経験者の方を弔うような歌ですが、今どれだけの人が戦争を知っているのだろう、と切ない気持ちにもなります。
私の祖父母も戦争経験者、祖父に至っては陸軍中野学校で内部から戦争を見ていた人の為、言葉にしたくない程の現実を生きた人でした。
祖母も生来の運の強さで早めに避難をしていなければ、東京大空襲を直撃していたという経験をしています。

さて、そんな重たい話をそっと語った後で、
右やら左やら未だに言う時代、ともすれば右が左みたいだったり左が右みたいになったりする破茶滅茶な時代の中、
真っ直ぐどちらにも偏らず染まらず、芯の通った潜在意識に語りかけるような歌詞が特徴の歌です。

村上紗由里「遠雷」

"おかしな話と笑い飛ばして欲しかった
そんな真っ直ぐな瞳で僕を見ないで"

"もしも僕たちがいつか離れ離れになるのなら
そのわけは僕らだけの理由であって欲しい"

"馬鹿げた話だ、友達になれたかもしれない誰かを
傷付ける為に僕は生まれたんじゃないよ"

"僕らが今、居るこの場所の見慣れた景色と空の色
「当たり前」の、その儚さよ
心を揺らさないで"

"僕らが今、居るこの場所の見慣れた景色と空の色
「当たり前」の、その愛しさを
かけがえのないものとして"

"他愛もない紡ぎ合いも、他愛もない諍いさえも
消えぬように、確かめるように、永遠に寄り添えるように"

"おかしな話と笑い飛ばしてほしかった
だって子供達にでも解ることだから"


この最後の台詞が何よりも素直で愛おしい言葉に感じます。
説明は…要らないな、うむ。

あ、そうそう。いだてん一話からのリハビリ落書きもあったんだ。
今度何枚か描き貯めたら載せるかね。

以上!!

珍しく真面目な不可思議堂でした(笑)