自分の記事にリブログするのも、恥ずかしい限りだが。。。
八木さんの事を書いておこうと思うと、唐突過ぎて神泉苑を引っ張ってくるより他なかった。
一日中アナウンスのマイクの前に座っているアルバイトだったが、狂言の始まり毎に
説明を入れるのが主な仕事だった。
その時は私が神戸から来ていると言う事を耳にされたのか「僕も神戸ですよ」な感じで
話が始まったものか
その頃、東寺にあった大学から来たと言うと
「すごいとはあの五重塔、あの塔の事を『すごい!』と言うんやで。。。」と子供の頃
父上がおっしゃったと言う話が、八木さんの並々ならぬ父上に対する尊敬に聴こえたが
それ以上の話は無かった。
最近になって、八木さんのプロフィ-ルを観る事があって、八木さんの経歴に
狂言師と記載があるのを知ったが、神泉苑でもその後の八木さんの取り巻きの方々の
間からも、そのような話は一切出なかった。
勝手な推察だが、壬生狂言・筆頭世話役八木善五郎さんの一族の方だったのかと
思うようになり、もっと京都の話などもお聞きしておけば良かったと今になって思う。
一度、女性の方と3人で神泉苑にお邪魔したが、歩いていると大学の先輩たちが
神泉苑の中に居て「お~い」と呼び掛けるので、その辺が子供なんだな。。。上がり込んで
そのまま八木チームを逸脱してしまった。
社長(八木さんは大阪屋の社長だった)怒って居るだろうなと思いながら、そのままになった。