本日は実家へ私物を取りに行きました。
父が居ない時間帯を狙って行きました。
行くのが嫌で嫌で、朝、口内炎が出来ていました。
でも早くスッキリしたくて思い切って行きました。
行く道のりがいつもよりく短く感じました。
家には母が1人でいました。
家に上がると私は直ぐに荷造りを始めました。
母は早く話したくて仕方ないようでした。
荷造りを終えた後、長々と話すと感情論争が始まることを懸念して、自分の中で10分の制限時間を決めて話し始めました。
私からの一方的な決別のことで
母
「お父さん泣いてはったで」
私
「そうなん。」
母
「。。。。」
私
「お父さんが良かれとお金を私のためにやりくりしてくれた事は感謝してる。
でもそのお金の為に自分の自由がなく、自分が選んだ人とも結婚もできず、子供を産むことも経験出来ず、ただお金だけ持って孤独に死んでいくのは嫌。
お金が無くても自分が選んだ道で笑って、力つきて死ぬ方が私はいい」
母
「わかった。」
帰り間際、母の口からもまた財産放棄の書類提出の話しがありました。
父が泣いていたことを聞いて、罪悪感を感じたけれど、この書面の話しをされて罪悪感は吹き飛びました。
家族間で実印入の形式ばった書類を交わすことは、家族では無くなると私は考えてます。
父母はその覚悟があるようには見えませんでした。
ただ約束事を流されるのを避ける為に書面の要求をしているだけだと思います。
でも私にとって相続放棄まで記入した書面を作成するのは相当な覚悟が必要です。
相続を放棄しないと結婚も出産の経験をする自由意志を得ることが出来ないことに理解に苦しみます。
もう書面を提出した時点で私の中では家族は居なくなります。
寂しくも思いますが、なるべくしてなっていると感じます。
これを経験する為にこの親を選んで生まれたんだと思います。
今日の母は目つきが違いました。
目の奥は怒りが見えました。
「父をこんなに悲しめやがって!」
と目が語っていました。
それで私の母への心配も吹っ切れました。
私の事で父と母の結束感が強まって良かったと思いました。
今まで母から父の愚痴を散々聞いてましたが、なんだかんだで思いやってるのだと思い安心する反面、どこまで行っても私はやっぱりこの家ではずっと1人だったんだなぁと思いました。
でも昔のように悲観的にはなりません。
別にいいのです。
家族と言う形、単語にこだわりはありません。
所詮皆んな個々の人間です。
ただ物質的に同じ血が流れてるだけです。
実家からの帰り道はとても身軽で爽快でした。
本当の自由を噛みしめました。
今回のことは一般的に親不孝者と思われるかもしれません。
でも親の為に親のエゴを聞き入れながら生きることが親孝行なのでしょうか?!
相続を放棄する事になって拗ねている自分が正直います。
それでもいいんです。
全部オールオッケーです。
どんな私でも最高なんです。
後悔もする必要もないんです。
その時その時を精一杯考えて行動して生きています。
だから過去に後悔したりする必要ないんです。
今の私の感情を否定せず、すべて受け入れて
自分は本当に良くやったと褒めてあげます。
いつか今回の事を後悔する日が来るかもしれません。もしそんな日が来ることがあれば、この文章何度も読むべし!と未来の自分に言います。
現在、私は41歳。
平均寿命の折り返しです。
結婚できるのか、出産を経験できるのか分かりません。
でも前だけを向いてこれからの自分の可能にワクワクできる今が嬉しいです。
あと残す作業は
親から毎月振り込んで貰っていた残金の返金
実印入の相続放棄の書面の提出
父が私の名前で色々していた積み立て金、保険、証券の全ての解約や名義変更。
これが全て終われば私は本当に自由の身です。