価値観の違いだとは思う。
私は、長い間、夫のことを「ケチだ」
と感じてきた。
出すところには出すけれど、必要ないと
判断したものに対しては、始末が厳しい。
さらに、食べ物や日用品をもらってくる
ことが多く、それを私に渡す際には、
日用品は「こう使いな」と用途を指定され、
食べ物に関しては「使った?」「まだある?」
と確認が入る。
そのやり取りに、数年前から正直うんざり
していた。
12月に入ると、クリスマス、お年玉、
子どもの誕生日と、何かと出費が重なる。
先日、夫はこんなことを言った。
「出したお金を、相手が有効に使ってくれる
ならいい。でも、無駄なものに使われるのが
嫌なんだよね」
その気持ちが、まったくわからないわけで
はない。
でも、そこまで嫌なら、最初からやらな
ければいいのに、とも思う。
「そうやって、あげた後のことまで気にしてるから、病気になるんだよ」
と何も考えず返した。
以前の私なら、「女々しいわ」と嫌悪感を覚え、
もっとトゲのある言い方をしていたはずだ。
それが今回は、嫌悪感も覚えず軽く
受け止めている自分がいた。
正直、その変化には自分でも驚いた。
けれど同時に思った。
また同じ場面を見せられたということは、
私の中にも、まだ“執着心”が残っている
のだろう、と。
そう感じて、私は自分自身を振り返って
みることにした。
執着心がいつ、どうやって芽生えたのかを
深掘りするのは難しかった。
だからまず、身近な出来事から見てみる
ことにした。
すると、すぐに思い当たることがあった。
先日、子どもから「過去問が欲しい」と
言われたときのことだ。
すでに山ほどテキストがある。
そのせいもあって私は、
「本当にやるの?」
「本当に必要?」
と、なかなか信じることができず、
すぐには買わなかった。
なぜ必要なのかを改めて聞き、納得した上で
購入したものの、手を付けない様子を見ると、
心の中でこう思っている自分がいた。
絶対使ってよ。
無駄にしないで。
どうしたらやり始めるんだろう。
……ああ、これだ。
夫がやっていることと、まったく同じ。
気づいた瞬間、情けなさがこみ上げた。
私は「子どものため」と思いながら、
実は「無駄にしたくない」という自分の不安を、
子どもに押し付けていたのだ。
こんなふうに思わない自分でいたい。
心から、そう思った。
他にも思い当たることはたくさんある。
この出来事は、私の中にこんなにも
執着心があることを、はっきりと
気づかせてくれた。
きっと私は、もうしばらく夫の執着を
見ることになるのだろう。
それは同時に、私自身の執着を手放す
ための時間でもある。
――気づかせてくれて、ありがとう。