ペガサス号は2071年に打ち上げられた「ヘキサグラム」級宇宙ステーションの9号艦。


リバティー戦争後、スカイネット防衛システムの唯一無事だった飛行船だが、船体は攻撃を受けて酷く破損している。一部エリアは完全に崩壊し、ポラリアンの汚染も酷いことからいまだに帰還は望まない状況で、宇宙を漂い続けている。


災厄発生後、生物学者ランダウ・コスナーは危機に際して権限を発動し、サバイバーに休眠カプセルに入って援助を待つよう言った。


ペガサス号に保存されている資料とデータこそ

今現在、何よりも詳細に火種計画について記されているものである可能性が高い。




●ペガサス号記録メモ

▼File No.1 ペガサス号

 2099年、リバティー戦争が勃発し、ペガサス号は唯一残存した宇宙ステーションとして、戦争中の地球防衛局に貴重な技術サポートを提供し、地上作戦に大きな役割を果たした。

 戦後、ペガサス号を除いて宇宙防衛システムは崩壊した。ペガサス号は生き残ったはいいものの、防衛AIシステムでも観測できなかった異星人のステルス爆弾の攻撃を受け、多大な人的被害やダメージを受けた。活動に使用できるスペースは深刻に不足し、正常に動作できる機械は3分の1まで減らされていた。生命維持システムも回復不能な故障が発生し、宇宙ステーションの酸素と水は20年分しかもたない見込みであった。

 ペガサス号は当初、生命維持システム維持のために小型宇宙船を建造して地球に帰還させようとしたが、一連の自力救助は失敗に終わった。

 それでもペガサス号に残った数十人の研究者は重要なサポートを常に地球に提供してきた。AA(オーロラ連盟)の設立により、北方大陸の生態系もゆっくりと回復したが、ペガサス号は依然として宇宙から地球を支え続けていた。



▼File No.2 ペガサスのレスキュー計画

 2103年初頭、北方大陸はついにペガサス号のレスキューを議題に挙げ、AAは港湾都市のヴィジーニ市にて宇宙船の建造を開始した。宇宙船を派遣し、ペガサス号に残ったメンバーを救助する計画だった。

 しかし同年5月、ペガサス号の生命維持システムは再び故障した。リバティー戦争中に、ステーションの北側のヒートシンクを破壊されたため、恒温装置を使ってステーション内の温度を調節する必要があった。しかし、その装置が過負荷になりかけたのだ。

 それに気づいたメンバーたちは修復しようと様々な方法を試そうとしたが、エネルギー不足により全てを断念。最終的に、キャプテンのリー・ヤンシェンは北側のエリアDの生化学実験室とエリアFの重力実験室の残りの人員を撤退させることを決定した。2つのエリアを閉鎖することで装置の負荷を減らそうとしたが、途中重力実験室純酸素貯蔵庫にて激しい漏れが発生し、爆発が起きた。この爆発により、リー・ヤンシェンと4人の同行者のうち、2人の研究者と副キャプテンがその場で死亡し、リー・ヤンシェンも救出された後に死亡した。