
「わたしが一番きれいだったとき」 茨木のり子
わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした
わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落してしまった
わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆発っでいった
わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った
わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた
わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった
わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった
だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように
ね
今の心境を、愚痴っぽい私のような言葉ではなく、高潔で美しい言葉で語ってくれています。
先日、茨木のり子さんの詩集「見えない配達夫」を買いました。もちろん、これも新装版です。「六月」という詩が好きで、それが載っている詩集をと思って買ったのですが、現在の私たちにとっては、引用した「わたしが一番きれいだったとき」の方がふさわしいと思いました。
三月最後の日曜日、今日も雨。
どこにも出かけなくてよいから、雨もいい。
息子たちは、オークアリーナへ寺廻塾に行った。
試合や練習があるということだ。
加藤陽一や宝来眞紀子もくるらしい。
行きたかったが、・・こうしてブログを書いている。
あ!写真でも撮ってきてもらえばよかった。
(か)
