今日8月6日、ヒロシマは、61回目の原爆の日を迎えた。
いつものように家族全員で平和式典の映像を見ながら、午前8時15分手を合わせ黙祷をした。
「平和ぼけ」 「世界の現実を見ろ」などと
と言う識者たちの声が年々、大きく高くなっているような気がする。
秋葉忠利広島市長の語る「平和宣言」・・・
「人類は今、すべての国が核兵器の奴隷となるか自由となるかの岐路に立たされている」
「被爆者の声は心ある世界の市民に広がったが、世界政治のリーダーたちはその声を無視し続けている」
参列するだけではいけない。耳を傾けてほしいのだ。影響力のある人こそが行動をしてほしいのだ。
死没者の名簿は、今年初めて奉納する「氏名不詳者 多数」と記した一冊を含めて四冊が加わり、八十九冊になったという。
もう10年以上前だと思うが、昨年亡くなった栗原貞子さんを呉の小さな小さな集会をのぞいたときに、ただ一度だけ見かけたことがある。数々の心に響く詩を目にすることは多かったが、彼女自身が詩を読むのを初めて聞いた。
たんたんとした静かな語り口調にも思えたが、声高に叫びちらす活動家たちの声の方が白々しく思えるほど、その語りは重く、真実の自分の叫びに聞こえた。
もうすでにそのときでも80才を超えていたのだろうか。
学校における「平和教育」は、ここ広島でも年々と下火となっている。
「教える」はずの私たちも「あれはだめよ!コレモダメ!」と言われ続け、疲れきっっているのかもしれない。ことは8月6日で終わるものではないようだ。
テレビでスポーツ担当の若い(三十数歳?)のコメンテーターがしゃべっていた。
「僕も、戦後生まれで、戦争も原爆も知らないけれど、『資料館』に行くと、やっぱり戦争は嫌だし、しちゃいけないものだと思ってしまうんです。」と。

写真は、もう6年も前、ちいさんを先頭に子どもたちと慰霊碑巡りをしたときのものです。いつも夏休みに来ていた甥っ子も写っています。
夏の暑い日に、子どもたちがはりきって歩いてたのを思い出します。ちなみにわたしも若い!(まだ何とか30代。だった。)
(か)
いつものように家族全員で平和式典の映像を見ながら、午前8時15分手を合わせ黙祷をした。
「平和ぼけ」 「世界の現実を見ろ」などと
と言う識者たちの声が年々、大きく高くなっているような気がする。
秋葉忠利広島市長の語る「平和宣言」・・・
「人類は今、すべての国が核兵器の奴隷となるか自由となるかの岐路に立たされている」
「被爆者の声は心ある世界の市民に広がったが、世界政治のリーダーたちはその声を無視し続けている」
参列するだけではいけない。耳を傾けてほしいのだ。影響力のある人こそが行動をしてほしいのだ。
死没者の名簿は、今年初めて奉納する「氏名不詳者 多数」と記した一冊を含めて四冊が加わり、八十九冊になったという。
もう10年以上前だと思うが、昨年亡くなった栗原貞子さんを呉の小さな小さな集会をのぞいたときに、ただ一度だけ見かけたことがある。数々の心に響く詩を目にすることは多かったが、彼女自身が詩を読むのを初めて聞いた。
たんたんとした静かな語り口調にも思えたが、声高に叫びちらす活動家たちの声の方が白々しく思えるほど、その語りは重く、真実の自分の叫びに聞こえた。
もうすでにそのときでも80才を超えていたのだろうか。
「生ましめんかな」 栗原 貞子
こはれたビルデングの地下室の夜であつた。
原子爆彈の負傷者達は
暗いローソク一本ない地下室を埋めていつぱいだつた。
生ぐさい血の匂ひ、死臭、汗くさい人いきれ、うめき声。
その中から不思議な声が聞こえて來た。
「赤ん坊が生れる」と云ふのだ。
この地獄の底のやうな地下室で、
今、若い女が産氣づいてゐるのだ。
マッチ一本ない暗がりの中でどうしたらいゝのだらう。
人々は自分の痛みを忘れて氣づかつた。
と「私が産婆です。私が生ませませう」と言つたのは、
さつきまでうめいてゐた重傷者だ。
かくて暗がりの地獄の底で新しい生命は生れた。
かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのまゝ死んだ。
生ましめんかな
生ましめんかな。
己が命捨つとも。
学校における「平和教育」は、ここ広島でも年々と下火となっている。
「教える」はずの私たちも「あれはだめよ!コレモダメ!」と言われ続け、疲れきっっているのかもしれない。ことは8月6日で終わるものではないようだ。
テレビでスポーツ担当の若い(三十数歳?)のコメンテーターがしゃべっていた。
「僕も、戦後生まれで、戦争も原爆も知らないけれど、『資料館』に行くと、やっぱり戦争は嫌だし、しちゃいけないものだと思ってしまうんです。」と。

写真は、もう6年も前、ちいさんを先頭に子どもたちと慰霊碑巡りをしたときのものです。いつも夏休みに来ていた甥っ子も写っています。
夏の暑い日に、子どもたちがはりきって歩いてたのを思い出します。ちなみにわたしも若い!(まだ何とか30代。だった。)
(か)
