心軽やかに♡楽しい毎日を!毎日がハッピー♡ -4ページ目

ちょっと悲しかったけど嬉しかった出来事

更年期症状が酷い上に

姉からのストレスが凄くて


体調を良くしたいのに

なかなか良くならなくて

焦ったりイライラしたりして

落ち込んだり

それでも

気持ちを切り替えて

前向きに頑張ったりして


ちょっとだけ

必要最低限の外出が出来るようになって

手応えを感じ始めた最近


車での帰り道に


旦那さんに

お母さん(私)がやってるやつって

本当に効いてるの?って言われて


ちょっと悲しくなりました悲しい


私本人は

やっと効果を実感出来るようになって

次のステップへ進めたら嬉しいなと

思っていた矢先でした


今でも体調は決して良いわけではなく

体調を崩すことのない旦那さんからみたら

体調の悪い私を理解することは

難しいのかも知れません


だから

今の私の体の状態を説明して

これが必要だから

こうしている

少しづつ良くなっている


最終的には

食事が普通に出来るようになるのが

目標だと

伝えました


今までだったら

自分の体なのに

どこが痛くて

どこが悪いのか

分からなかったし

説明することが出来なかったけど


今は

どこが悪くて

そこを治すために

これをやっていると

説明できるまでになりました


相手が納得するかは別として

私は私の思いを伝えられたことに

満足してるし


やっと

ちょっと元気になってきたなと

実感できて嬉しかったニコニコ


私だって

好きで薬飲んでるわけじゃないんだよー真顔


どんなに体調悪くても

体調悪く見えない

私にも問題あると思うけどね

これ昔から

小さい時からだから

仕方ないね悲しい


体調悪くても我慢しろ!って

大人たちに言われていた時代だからね


でも、もうそんな時代じゃないけど

癖はなかなか抜けないわ真顔



推し活

自分らしくいていい時代

どんな自分でもそれでいい


私は私でいたい


やりたいようにやらせてくれて

ありがとうニコニコ

家族との関係・・・私が目指す所とは

今朝の新聞の記事を読んでいて

私の心に引っかかる文が

飛び込んできた


金原ひとみさん

「腹を空かせた勇者ども」

「陽キャ」高1長女から刺激  という記事


読み進めていくと

「血のつながった家族だからわかり合えるというのは欺瞞(ぎまん)で、一緒に生きていくことはできるという関係性が大切だと思う」と書いてあった


この一文が

今の私に刺さりまくったのだ


欺瞞(ぎまん)とは

人の目をごまかしだますことだそうだ


家族なんだから

血がつながってるんだから

姉妹なんだから

わかり合えるとは限らない

仲良くしなくちゃいけないことなんてない


ただ

一緒に生きていくことはできる


という関係性は大切なんじゃないかという


片方だけが

家族の誰かだけが

わかり合おうと

歩み寄ろうと

寄りそおうとしても

無理なことってあるよね


それは通常に起こりえますよ

わかり合えなくても

わかり合えることか大切なんじゃなくて

わかり合えなくても

一緒に生きていくことはできるよね

一緒に生きてくことはできる

という関係性を大切にすればいい


家族なんだからわかり合えるはごまかしか・・・


わかり合えることを目標にするのではなく

一緒に生きていくことを目指せばいいのね


姉妹でも

1人の人間

他人とはわかり合えないとわかっても

家族とはわかり合えるって思いがち

そう1人の人間

どんな関係性でも

わかり合える人とはわかり合える

わかり合えない人とはわかり合えない


当たり前と言えば

当たり前だった


私を縛っていた

固定観念がまたひとつ外れた


あ~良かった目がハート




しっかり自分と向き合った

ここ数日ストレスが凄くて

なかなか気持ちの切り替えが出来なかったけど

やっと

切り替えることが出来ました


本当の自分は

どうしたいのか?


どんどん湧いてくる思いを

どうしてそう思ったのか

本当はどうしたいのかを

とことん突き詰めていったら


着地点が見つかりました


表面だけで

納得させても

結局同じことの繰り返し


早く楽になりたかったら

やっぱり避けては通れない

ここでしっかり自分と向き合っていたら

ちょっと遠回りに見えるけど

後々楽になるから

頑張りましたキメてる


私は私に出来ること

私が伝えられること

私の思いを伝えました

それが相手に伝わることはなかったけど


私は分かって欲しいのではなかったから

本当はわかって欲しいけど

何をどう伝えても

分かってもらえないことが

分かったから

もういいかなと思えるところまで

頑張りました


みんな人それぞれ

嬉しいことや悲しいことがあって

それの重さや深さは

きっとみんな同じで

違いは無いのに


受け取る人が

その重さや深さを決めている


もしかしたら

姉より私の方が

受けている悲しみが深いかもしれないと思ったら

私の悲しみを伝えるのをやめました


私が受けた悲しみを知ったら

きっと姉は

可哀想ではいられなくなってしまう

姉が可哀想でいることで

母との関係を保っているので

このまま可哀想な関係でいいのかなと思ったのです


私は自分の生きづらさに気が付いて

考えを変えるまで何年もかかりましたし

まだ変わっている途中です


それを他人が

気が付かせるのは

相当な時間と動力が必要です

私はそこまでして

することなのかな?って

思ったんです


そこに時間を割くのなら

私がもっと生きやすく

幸せになる方へ

時間を使った方が

いいのではとニコニコ


今回姉の気持ちも

母の気持ちも

よくわかったので

決して無駄ではなかったです


価値観が違いすぎて

気が狂いそうでしたが

逆に向こうは

同じように

反対側のベクトルで

気が狂いそうになっていたと思います


法律がなかったら

私はきっと自分のために

戦っていたんだろうと思います

今回は法律ありがとうって感じです


きっと姉は

法律を恨むだろうなー


自分に素直になる

自分と繋がる

宇宙と繋がるとかって

こういうことなんだろうな


すべては上手くいくニコニコ飛び出すハート


どう感じるかは自分次第

全部自分で決められるって

本当だね目がハート