8月になると戦争に関する記事や
番組を目にする事が多い
ポーランドの古都クラクフから
車で約1時間走ると
オシフィエンチムという町がある
ナチス・ドイツはこの地を占領し
アウシュヴィッツと呼んだ
コペンハーゲンの画像をたくさん
送ってくださったMさんが
ここの最新画像も送ってくださった
仕事で行くとなかなか撮影しづらい場所
なので頂いた画像は本当に貴重!
Mさん、ありがとうございます
しばらくMさんの画像だけでブログ書けそう
私が最後にここを訪れたのは2019年の秋
この地を観るのに観光という言葉は
ふさわしくないだろう
「観光」は中国の「易経」にある
「国の威光を観る」が語源なので
この地は「見学」という言葉がふさわしい
ここを語るには私はあまりにも勉強不足で
感想を語るにも語彙力不足なので
今回は説明は最低限にします
お読みいただいている皆様に
感じて考えていただければと思います
アウシュヴィッツ第1収容所から
▲入口の上にはこう書かれている
「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」
本当に信じられたのか?
どんな人たちが連れられてきたかというと
▲最初はポーランドの政治犯から始まり
ナチス・ドイツを批判した聖職者も
▲ソ連兵、ロマ族など
そしてユダヤ人▼
最初は立派な服を着て
私物の鞄一個を持ち到着した
到着すると私物を全て取り上げられた
ここでは没収した私物なども展示されている
冬はマイナス20度にもなるこの地で
薄いパジャマのような服だけ与えられた
このパネルには収容された人たちの名前
到着した日、亡くなった日が記載されている
到着してから亡くなる日まで何ヶ月ばかり
ただ、まだここでパネルに写真が残っている
人たちはましで、到着した途端に命の選別で
ガス室に送られた人たちも多い
「人たち」と簡単に書いたが一人一人が
尊重されるべき人権を持った尊い存在だった
▲収容者された人たちはこのように身分を表す
ラベルを服につけられて、腕には収容者番号の
刺青まで入れられた
▲この有刺鉄線には強い電流が流れていた
▲「死の壁」と呼ばれるコンクリートの塀
ここでたくさんの人たちが銃殺された
コロナ禍なので黄色い花束だけしかないが
私が訪れた2019年は数多くの花が
捧げられていた
▲悪名高い「ガス室」
終戦間近、ナチス・ドイツはここでの出来事を
隠蔽するためにガス室は全て爆破した
これは復元したもの
構造がわかる模型もある
▲焼却炉
ここで働かされていたのもユダヤ人
第二次世界大戦後にはここの収容所の
所長でもあったルドルフ・ヘスが
戦犯としてこの絞首台で処刑された
そしてそのルドルフ・ヘスの邸宅が奥に見える
収容所と塀1枚隔てた所に住んでいたのだ
ナチスを批判したりユダヤ人を保護した
聖職者もここに送られた
その中で日本になじみがあるコルベ神父も
ここで亡くなっている
長崎で1930年代に宣教活動したコルベ神父
ポーランドに帰国した途端に
ナチス・ドイツがポーランドを侵攻
聖職者はたくさん逮捕されコルベ神父も
逮捕されてここに収容される
ある日、ある収容者が逃走をしてしまう
こういう時は連帯責任で同じ棟の収容者が
何人も命を奪われることになる
この時も10人もの収容者が連帯責任で
餓死刑を言い渡された
そのうちの1人が命乞いをすると
それを聞いていたコルベ神父が
自ら身代わりとなると申し出る
コルベ神父は亡くなるまで同じ刑となった
人たちを励まし祈りを捧げ亡くなったという
この話は続きます
最後まで読んでいただきありがとうございます