引き続きルツェルンのお話 

 

旧市街の北に岩をくり抜いて彫った

ライオンの像がある

 

 

▲瀕死のライオン記念碑(Wikipediaより引用)

 

痛ましいこの像はフランス革命の際

チュイルリー宮殿を守りそして戦死した

スイス人の傭兵を悼んで200年前に彫られた

 

作家のマーク・トゥエインはこの像を

「世界で最も悲痛で、最も感動的」

と形容している

 

脇腹に矢が刺さり瀕死の状態であっても

なおライオンが守ろうとしている盾には

当時のフランス王家の象徴である

百合の紋章が彫られている

 

その横の盾にはスイス十字も彫られている

 

「ライオンも革命の時戦ったのですか?」

と聞かれることがあるのですがガーン

これはあくまでもイメージ

 

ライオンは強いスイス人傭兵を

百合の紋章の盾はフランス王家を

それぞれ意味している

 

スイス人傭兵は15世紀から18世紀まで

ヨーロッパ各地の戦争で雇われた

 

国土の大半が山地で資源のないこの国では

州(カントン)政府が仲介し、まとめて

「傭兵」を「輸出」していた

 

山岳地帯で暮らすので寒さに強く

足腰も強いので兵士としては優秀

 

特にフランスはお得意様でフランス王家は

フランス革命時に自国軍よりも忠誠心のある

スイス人傭兵を近衛兵として取り立てたびっくり

 

その多くはこの地から派遣された傭兵だった

 

「実はこの碑を建てようと言った人は

 チュイルリー宮殿襲撃の日にたまたま非番で

 運良く生還した人なんですよ」


と話すとその人の運にお客様は感動するニコニコ

「そんな日に休みだったんですね」


日本の戦国時代のサムライたちは

ほぼ年中無休のイメージなのでしょうか(笑)

 

また信用されず近衛兵にならなかった

フランス軍兵士ってガーン

「ベルサイユのばら」とは違う展開?

 

傭兵でなじみがある人と言えば

「アルプスの少女ハイジ」のおじいさんは

元・傭兵だった

傭兵時代の事を揶揄され世捨て人のように

山に篭り、ひっそり暮らしていたところに

ハイジがやって来たのだ

 

さすがに子ども向けの本にはその部分の

詳しい記述はないはず

 

▲聖マウリティウスの噴水

聖マウリティウスは兵士の守護聖人

 

よく見ると戦士たちの像も彫られている

 

この街らしい題材の噴水だなと実感

 

▲少々わかりづらいのですが街の後方には

街を守ったムゼック城壁が今も残る

 

600年変わらない街並を見守るようにそびえる

 

▼イエズス会教会(左)とロイス川

 


▼イエズス会教会(イエズス会教会のHPより引用)


 

▲バロック様式の教会で外観シンプル

背景にはピラトゥス山がくっきり🗻


中に入ると

 

▲バロック様式なので内部はきらびやか

(イエズス会教会のHPより引用)

 

この教会には日本人にとてもなじみのある

フランシスコ・ザビエルの像や天井画がある

 

ルツェルンはカトリック教徒が多い街

 

宗教と傭兵、あまり関係なさそうだけど

バチカン市国の衛兵は今でもスイス人衛兵

 

傭兵は自治体の制度としては禁止されたが

今は儀礼的要素を色濃く持っているので

この衛兵は未だに継続している

 

▼バチカン市国のスイス人衛兵

 

ローマに行かれた方ならこの奇抜な衣装に

見覚えがあるのでは

(デザイナーはあのミケランジェロ)

 

 

▲ロイス川の堰

 

今でも木の板で川の水量を調節しています

今年は暑いみたいなので雪解け水も多いのかと

思っているところです

 

最後まで読んで頂きありがとうございます😊