
「望みを持ってしまった自分がバカでした」
一昨日、薬害肝炎の原告団の方の一人が静かに言っていた。
一昨日、ニュースを見ていた時は。やっぱりこの国って…と暗い気持ちになりながらも冷たいようだがやはり人事としてそのニュースをどこか遠くから見ていた。
しかし昨日。私にも内容は違えども自分にとって非常にショックなことが起きた。
そして「なぜほんの少しでも期待してしまったんだろう」と思った。
期待なんかするから倍返しされる。どこかでわかってたはずなのに。
繰り返される諸行は無常。
もちろん薬害肝炎の被害者の方々はその期待に値する救済を受けられるべきだと思うし、その為に今まで何度でもはい上がってきたのだ。そして時間がない。
自分に起きたちっぽけなこととは比べようもなく果てしなく深く悲しいことだと思うが、昨日はそんなこんなで同じ映像、同じ言葉を見ながら感じ方が全く変わっていた。
あそこに座っているのが自分のような気がした。
人間なんてそんなものか。
結局自分のこと、自分に関わること以外は大して興味がないのだ。
先日爆笑問題のニッポンの教養で見たひきこもり治療の第一人者の方が自己愛についての話をしていて非常に興味深かった。
「時に愛より親切が勝つ」
治療の現場においては“愛”は諸刃の剣過ぎて実は使えないんだと。
政治においても同じようなことが言えるのではなかろうか。
誰かこの国を、全てを大治療してくれる名医はおらんかね。
それからこれも先日見たプロフェッショナルで女性キュレーターの方が言っていた。
あなたにとってプロフェッショナルとは。
「いろんな状況の中で不満を言うことなく、自分のいるその場所をユートピアにできる人」
こちらも自分の頭の中にスコーンと入り込んで刻まれた。
彼女は展覧会前、いつも逃げ出したいとばかり思いつつも、結果毎回なんとかして。また次回もがんばろうと思うと言っていた。
みんな当然のようになんかしら頑張ってる。自分の為に。
自分の周りをユートピアにしよう。そして広げていこう。

昨日は、そんな気持ちで栄の県美までロートレック展を見に行った。
金曜はナイターで20時までやっているし、なかなか行ける時がないかな、と思って。招待券をいただいていたこともあって、まぁ行ってみるか的なところでなにげなく出かけたわけだが。
これが、ものすごく良かった。すばらしい展覧会だった。
そして自分が実はこの人の絵がめちゃくちゃ好きだったことを思い出した。
とても良かったのでぜひまた後ほど詳しく書けたらと思うのだが。
晩年は精神を病み、最後はアルコール中毒その他もろもろで憔悴しきったように静かに亡くなっていったロートレック。
その36年というあまりにも短い生涯の中で。
「醜さの中に必ず美しいものが隠されている。それを見つけた時、無常の喜びを感じるのだ」と語っていたという彼の描いた数々の絵やポスターには。
華やかさの中に必ず孤独や悲しみが含まれていて。
切なくて。どこまでも美しい。
彼はスキマを描く人だと思った。
華やかな歓楽街のスキマ。人の表情のスキマ。
ふとした瞬間、徹底した人間観察からその周りの空気までが痛いほど伝わってくる。
そして表される画面上のスキマがこれまたありえないくらい美しい。
ありがとう、ロートレック。
そしてすばらしい展覧会を見に行くきっかけをくれた全てのことに感謝。
なんかタイトルからして妙な感じの文章になってますが。
一晩寝ると我ながらなんとかなるもんで。けっこうスッキリしてます。
何度でも立ち上がれ。
今日、明日は久しぶりの友達にも会えるし。ZAZENのライブもあるしね。
おもっきり楽しみたいと思っております。オッシャ。