
事件が起きました。小さな、悲しい事件。
昼過ぎ、雨の中ちょっと出かけて帰ってきたら。
数日前から羽化の様子を見たいと毎日観察していたさなぎがいなくなっていました。今日も早朝、その姿を確認したばかりだったのに。
帰ってきて玄関先からひょいとのぞくと見られる位置だった為、今日は雨にあたっちゃうんじゃないか?とのぞいてみたら。いない。張り付いてた糸だけ残して跡形もなく消えていました。
すぐ近くにもう一つ見つけた茶色い方のさなぎは半分もげてぶらさがっている。
下を見るともう半分の殻が落っこちてました。中身はいない。
緑の方もひょっとして落ちてるんじゃ!?と探しましたが全く見つからず。
以前そうとは全く知らず、越冬蛹をはぎとった状態でも家の中で孵った奇跡を見た私です。そのまま落ちてればひょっとして?と思いましたが。そうそう奇跡は起きません。
何があったのでしょう・・・?鳥?虫?人間??
なんにせよ、あのさなぎに何かが起こって。
命を全うすることなく消えたことは確かです。
なんともいたたまれない気持ちになりました。
たかが虫一匹で何を感傷的になっておるんだと思われるでしょうが。
この広い世界の中で何かしら自分と関わりあって特別の感情をもってして見ていたのですから、やはり何も感じないではいられない。
一日中降りしきるこの冷たい雨と相まってまたさらにそんな気分に拍車がかかっているのかもしれません。
なんだか今までそういった場面に出くわす度に感じてきた気持ちを一気に思い出したような。そんな気分。
小さい頃からよくいろんな生き物を拾ってくる子供だったので、それぞれの死に結構たちあってきました。
初めて死が現実のものとして意識されたのは多分小学校低学年の頃。
いまだになんとなくトラウマとして残っているものもあったりしますが。
死とは生まれた時からもう決っていることであって。
生まれたその瞬間から死に向って進んでいることは明白な事実。
だからもちろん自分も必ずいつか死ぬわけで。
それは明日かもしれないし、50年後かもしれない。
小さなさなぎも私もさして変わらない。
勝手に感情移入してさなぎの死を嘆く必要がないこともわかっている。
だってさなぎはそんなこと全く望んではいないから。
でも出会ったさなぎは確実に私をときめかせてくれた。
ありがと、緑1号。合掌(-人-)
くちずさむ歌はなんだい?思い出すことはなんだい?
FishmansのゆらめきIN THE AIRがぐるぐる回る。
君が今日も消えてなけりゃいいな。
また今日も消えてなけりゃいいな。