先日の記事で、
自由学園の出身者では





ビビビっときて即決してしまった自由学園明日館ですが、
はて、
どんな歴史があって
どんなかたちで利用されてて
どんな設計者の意図があったのか
ちょこっとだけ調べてみました。
まずは、本家、自由学園ホームページより
▼明日館とは

がいらっしゃいます。
▼デザートビュッフェなどに使用されるホールとは

▼披露宴会場に使用される食堂とは

▼挙式に利用させる(有料6万円)講堂とは

なるほど。
その他、Wikipediaなどで見てみると
- 自由学園明日館:フランク・ロイド・ライトと遠藤新の共同設計。1997年に国の重要文化財に指定され、現在動態保存として一般に開放、利用されている。
とのこと。
1921年から13年ほどしか学校としては利用していなかったようですね。
フランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright

1867年6月8日 - 1959年4月9日)は、アメリカの建築家。
アメリカ大陸で多くの建築作品があり、日本にもいくつか作品を残している。ル・コルビュジエ、ミース・ファン・デル・ローエと共に「近代建築の三大巨匠」と呼ばれる(ヴァルター・グロピウスを加え四大巨匠とみなす事もある)。
遠藤新
(同郷の福島県の方なので勝手に親近感)

福島県相馬郡福田村(現新地町)出身。第二高等学校を経て東京帝国大学建築学科卒業。卒業の翌年には、建築界の大御所だった辰野金吾設計による東京駅建築の批判を発表した。明治神宮の建設に関わった後、1917年、帝国ホテルの設計を引き受けたライトの建築設計事務所に勤務。
建設費用がかかり過ぎるとしてライトは解雇され、途中で帰国してしまうが、遠藤ら弟子が帝国ホテルを完成させた。また、自由学園、山邑邸も、ライトの基本設計を元に完成。1935年からは満州と日本を行き来して設計活動を行った。1945年満州にて第二次世界大戦の終戦を迎えたが、翌年心臓発作で入院し、半年後に日本に帰国した。1949年からは文部省学校建築企画協議会員を務め、戦後占領下の日本における学校建築のあり方に対する提言を行った。1951年4月体調を崩し、東大病院に入院。2ヶ月後、同病院にて死去した。
独立後もライトに心酔し、ライトばりの建築を設計し続けた。このため、ライトの使徒とも呼ばれ、独創性がないと軽視されることもあった。しかし、ライトの設計思想をよく理解した遠藤の作品は、ヒューマンスケールな広がりのある空間で多くの人に親しまれており、再評価が行われている。
フランクロイドライト
遠藤新
羽仁吉一、もと子夫妻
の意思をくんで、歴史を理解したうえで、
自分たちのオリジナルな結婚式の土台を立てていければと思います。
ちなみに、、
ようなので、こちらどうぞご覧ください。