家の庭の雑草が
生い茂ってきた。

家の横の木々も
枝葉が道路に
飛び出している。

雑草は抜いて、木々は
剪定しなければならない。

特に木々の枝葉の方は
見て見ぬふりして
どのくらいの月日が
たっただろう。



思い起こせば、
1週間ほど前のこと。

木々の枝葉が道路に
飛び出していることを
妻も気付いていたようでした。

それを見て一言。
「枝葉が飛び出してるね。
 どうするか考えておいてね?
 家主さん。」

その言葉に、
何だか含みがあるなぁ……
嫌な言い方だなぁ……
と感じてしまいました。

その言葉が頭の片隅に残り、
1週間が経過し、
今日を迎えます。



今日、妻と娘には、
妻の友人とその息子さんと
遊ぶ約束があり、
2人で出かけていきました。

といっても最寄り駅まで
私が車で送り(10分弱)、
その後私は帰宅。

ふと、雑草を抜こうと思い、
帰宅したその足で作業を
開始しました。
作業を開始してから
袋に詰めて捨てる準備まで
完了するまでに40〜50分程
かかったでしょうか。

隅々まで綺麗にという
わけにはいかなかったものの、
目につく雑草を綺麗にでき、
一仕事できたかな、と
いったところです。

その後昼食をとり、
一休みを挟みました。

しばらくした後、
木々の剪定もやろうと思い、
すぐさま作業開始。
これも小一時間程かけて
作業をしました。
枝葉を切るだけなら
そんなに時間がかからない。
でも、枝葉を袋に詰めるのに、
長い枝葉を細かく切る必要が
あるなぁと思いました。
その作業が思いの外
時間がかかりました。

また一仕事終えた感覚に浸り、
この程度の作業なら
定期的にやろうと
思いを固めました。



妻が帰宅し、
庭と道路の景色を見て
「ありがとう!」
と言ってくれました。

どういたしまして!



最後に一言、頂戴しました。

「なんでやろうと思ったの?」

「気が向いたから以外の
 何物でもないかな。
 やった方がいいとは
 思ってたし。」

「あんなに
 意地でもやらない感じ
 だったのにね。
 私が妊娠8ヶ月のときに
 庭で雑草を抜いてても
 絶対に手伝っては
 くれなかったし。」

「あぁ……」



過去のことを持ってくる
必要性があったのか、
少し疑問に感じ、
言葉を失ってしまった。

何か攻撃的なことを
何か牽制するようなことを
何か上を取れるようなことを
言いたくて言いたくて
仕方がないのかな……?
って思ってしまいます。

妻が草抜きをしていたのを
手伝わなかった出来事は
私も覚えています。

身体は無理に動かせば
動いたかもしれない、
やらなくていいなら
今は休ませて欲しい、
という感じだったような
気がしています。

時期が時期だったので、
私もその頃の自分は
こうだっただろうなぁ
という私には私なりの
理由があったのですが、
流石に言い訳がましい。

その時に手伝わなかったこと、
申し訳ない。
もう少し他者優先の精神で
身代わりできたらよかった。

過去の自分の浅はかさを
感じるね。



妻が抱くそのときの記憶は、
ずっとその状態で残り続け、
また然るべきタイミングで
記憶が蘇り、私は同じことを
言われる日がまた来る。

今回は言えなかったが、
今度は「ごめん」と
一言言えたらと思う一方、

過去は変えられないので、

これは「記憶上のタトゥー」
みたいなもので、
何をやっても消せない
いくらやっても消せない
ものなのかなと思ってます。

それをもって
突如記憶として再燃し、
向こう何十年
「あのときはああだった」
と言われ続けるのは
なんだかキツいな
と思ってしまいます。