シェトミタカ通信

シェトミタカ通信

◆シェトミタカの日々の出来事◆バースデーケーキは数日前までの完全予約制です◆
大分県別府市竹の内2組
open 10:00〜18:00 日曜17時閉店◆月火曜定休日(不定休日有り)


☎︎0977-25-9910


patisserie opened in beppu in 1997


私の修業時代 第53話 ギャルソンになる

ここまでのあらすじ

1987年昭和62年に高校を卒業した私は、横浜の調理師学校へ入学し、スペイン料理店でアルバイトをしながら少しずつ新生活になれて来た頃には就職活動。不採用になったりいろいろ経験し無事に就職先も決定したのでした。
横浜のホテルの菓子部門に新入社員で入社し1年弱で退社、神戸に放浪の旅に出た後、憧れの銀座のパティスリーへ再就職を果たしたのでした。



遂に念願のパティスリーに就職できた!と思ったら、ギャルソン(ウェイター)見習いからスタートした東京銀座のフランス菓子店修業。



メニューも仕事にもフランス語。


英語も英検4級レベルなのにフランス語!?

でも仕事となれば覚えるしか有りません。

いや、毎日使っていると覚えてしまうものでした。


パティスリーレカンで働きながら感じたんですが、、

フランス菓子やフランス料理を学ぶ上でフランス語は自然に使うようになるんですね。
スペイン料理を学ぶとスペイン語を覚え、イタリア料理ならイタリア語。関西に住んだら関西弁。東京で働き出すと標準語を使い出すように、その環境にいれば必然的に覚えてしまうのが言葉なのかも知れません。。


ギャルソンをはじめた当初、

お客様からオーダーを取る時、

伝票を書く時、オーダーをフランス語で伝える時、

私がまごまごしていると、、一緒に働いているアルバイトの女性たちが直ぐに教えてくれるんですよね。

バイトの女性たちは有名女子大の学生や客室乗務員をめざす人など、、フランス語が堪能でした。銀座の高級フランス菓子店はアルバイトにも厳格な採用規準があったようでした。


教えてくれるのは有り難いですが、こっちは社員。バイトの女性たちに教えてもらってばかりも情けないなと、何度も書いて覚えました。


二十代の頃のレシピノートにはメニュを書いて覚えた形跡が…。




ギャルソンのスタッフ達は、ほとんどか1年前に入社した厨房希望の社員でした。もう2年もギャルソンをやってて、厨房に入れるのを今か今かと待ってる人がいたり、、。皆私と同世代の二十歳前後でした。

フランス菓子の一流店には、全国からスタッフが集まり若いギャルソンが10〜20人程、販売専門の黒服スタッフが10名程。アルバイトの女性達は把握できない程登録されてました。
上層部はマネージャーが1人、サブマネージャーが2人。鬼のように怖いMシェフが全ての権限を持っていて、マネージャーとサブマネージャーが補佐する形のようでした。


『1週間後には新入社員が10人位入ってくるよ。君は彼らより早いからラッキーだったなぁ〜』ホールの黒服スタッフの岩井さんから聞かされました。


厨房には20人程のパテェシエがいるようですが、私にはまだ踏み込めない雲の上の世界でした。。




本日高校生弁当はパンにして!って昨晩言われ、急遽朝イチでストックしてた冷凍パンを焼きました〜!←なんとか間に合った笑

そして
自転車の定期点検でサイクルショップへ自転車を持ち込み、帰りは15キロをウォーキングでシェトミタカまで!約3時間歩いて到着〜!

妻は、、高校生弁当のレパートリーを増やす為、料理教室へ(1番の楽しみは試食らしい🤭)

夫婦共良き休日となりました。。










私の修業時代 第52話 Un café , S'il vous plait.



ここまでのあらすじ

1987年昭和62年に高校を卒業した私は、横浜の調理師学校へ入学し、スペイン料理店でアルバイトをしながら少しずつ新生活になれて来た頃には就職活動。不採用になったりいろいろ経験し無事に就職先も決定したのでした。
横浜のホテルの菓子部門に新入社員で入社し1年弱で退社、神戸に放浪の旅に出た後、憧れの銀座のパティスリーへ再就職を果たしたのでした。




パティスリー ド レカン のギャルソン1日目


『どんなお客様がいらっしゃって、どんな商品をお求めになるのか…。お客様が何を求めているか分からないとなぁ。それがギャルソンの仕事だよ。』


『冨高君も、いきなり厨房に入ってもケーキの名前も何もわからないから、お店でサービスをしながらいろいろ憶えなさい。』と川野サブマネジャーから説明がありました。


ギャルソンとはウェイターの事ですが、しばらくはギャルソンをしながら厨房に入る順番待ちのようです。


先ずは実戦あるのみがレカンスタイルで、お客様が帰られたテーブルのお皿をトレーに乗せて片付ける仕事からのスタートでした。


『次はあそこのテーブルにケーキを運んで〜!』と言われ、見様見真似でトレーを使いドリンクやケーキを運びました。





それが慣れてくると、、メニューを渡され、覚えるようにと30分程時間を与えられたました。


pâtisserie銀座レカンでは、オーダーやメニュー、日頃の会話もフランス語でした。


例えば、

お客様から一杯のコーヒーのオーダーを受けると、

伝票に


[Un café ]と書き、


厨房にいるドリンク担当の方に、

『 Un café , S'il vous plait.〜! 』
訳)アン キャフェ シブヴプレ〜!

と、フランス語でオーダーを通し、伝票を渡します。


すると厨房から返事が、


『 Oui, monsier.〜!』
訳)ウィ、ムッシュー!

と、帰ってきます。


さぁ、ついにギャルソンの仕事が、フランス語の勉強からはじまりました!

タルトフラン





私の修業時代 第51話 銀座デビュー


ここまでのあらすじ

1987年昭和62年に高校を卒業した私は、横浜の調理師学校へ入学し、スペイン料理店でアルバイトをしながら少しずつ新生活になれて来た頃には就職活動。不採用になったりいろいろ経験し無事に就職先も決定したのでした。
横浜のホテルの菓子部門に新入社員で入社し1年弱で退社、神戸に放浪の旅に出た後、憧れの銀座のパティスリーへ再就職を果たしたのでした。


※私の修業時代は9年前に別ブログに掲載した記事を多少修正したもので私が実際に経験した修業時代の話しです。登場人物は全て仮名です。


再就職先に決まったフレンチレストラン銀座レカンのケーキ店のPATISSERIE DE 銀座レカン。

pâtisserie de 銀座レカンには横浜石川町駅から京浜東北線で有楽町まで45分程通勤時間にかかりました。

まぁ電車で1時間以内ならそんなに通勤も苦になりませんでした。電車の中は文庫本を読む読書の時間に充てました。

パティスリー ド レカンへの初出勤で店に行くと、、白いシャツとグレンチェックのジャケット、蝶ネクタイに黒ズボンを渡されました。

どうやら私もギャルソン(ウェイター)からのスタートでした。pâtisserie銀座レカンの本店は1階がケーキ売り場のブティック。地下1階に30席程のサロン ド テが有り、奥に厨房を併設していました。

1階のブティックに並ぶケーキを見ると、、500円以上が中心で、シュークリームもショートケーキも無いバリバリのフランス菓子です。棚にはガラスのバカラやフランスのリモージュ焼きの陶器に入ったボンボンショコラが◯万円のプライスカードが付いています。


地下のサロン ド テに降りる赤い絨毯張りの大理石の螺旋階段の入り口には、

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ジーンズやサンダルなどの軽装での来店、
小学生以下のお子様のご入場は誠に勝手ながら
御遠慮させて頂きます。

パティスリード銀座レカン 

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と記した案内板が有りました。
正統派フレンチレストランのパティスリー部門は大人をターゲットにした店作りでした。

地下1階のサロン ド テ のメニューは全てフランス語で日本語でカナはふってありましたが。

コーヒー、紅茶が ¥600

カフェ オ レ や エスプレッソが ¥700

今から30数年前の、平成のはじめの頃の価格でしたから、ケーキもドリンクも横浜のサテライトホテルより遥かに高い価格帯で銀座の有名店の物価の高さに驚きました。

普通の喫茶店のコーヒーが300円でケーキ屋さんのケーキも250円から300円の時代でした。