7年前のニューズレターから
 

『癒しの必要性』⑵

#26−2017/2/17

 

⑴からの続き

 

 

自分で歩むことが鍵だったのです。

 

それらの経験から、

私が求めていたものとは「救い」であり、

「助け」だったのだと記憶が教えてくれます。

 

最近では、

それらの言葉はあまり流行っておらず、

よく目にし、

耳にするのが「癒し」です。

 

では、

私があまり使わないできた

「癒し」という言葉は、

私にとってどういうことかを、

徹底的に考えてみました。

 

で、発見。

 

「癒し」は温泉でよく使われる言葉です。


 

体が傷を負っていたり、

疲労が蓄積していたりするときに、

温泉は弱った体を癒してくれます。

 

肉体が休まると気力を取り戻し、

生命は動き始めます。
 

流行りの意味で、

この言葉が使われている場面では、

「癒し」を体よりも、

感情のために求めているのではないか、

という気がしました。

 

経験から言うと、

感情は過ぎ去るものなので、

何かを施しても、

癒えるという感覚は、

湧き起こらないのではないか、

と思うのです。
 

傷ついた感情を、

温泉に浸かるような、

温かく心地よい状態に、

浸しておきたいという願望は、

想像上の幻想であって、

どうも現実に根ざしているとは思えません。
 

温もりの心地よさに浸っていたいというのは、

表層意識における執着です。

 

子宮回帰願望があるのかもしれません。
 

あまり長くお湯に浸かっていると、

ふやけるし、のぼせます。

 

もしかしたら、

お湯の温度がさほど高くないので、

外に出たときの寒さが怖いのかもしれません。

 

しかし、そのままずっと浸かり続けていると、

感情は果たしてどうなるのでしょうか。

 

 

〜⑶に続く〜


 

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3月9日、10日の土日の二日間、

東京でワークショップを開催します。


しばらく全然お知らせできずにいたら、

ワークショップの働きかけ枠が、

余裕で空いています。

 

これは自分の癖だとか、
自分の性格だからと諦め、
受け入れている不都合は、
もしかしたら誰かを助けるために、
背負いこんでいる、
他の人の過去の傷かも知れません。

 

いじめのターゲットにされているとか、

ストーカーの、

被害を受けているといったケースも、

原因を探る手段として、

コンステレーションを使うことができます。

 

親が嫌い、親が怖い、

親を許せない等の親子関係の悩み、

何をやっても上手くいかない、

不運に付きまとわれている、

といった個人的な不調、

夫/妻との壊れた関係を修復したい、

といった夫婦関係の問題、

仕事では、

できる限りの努力をしてきたのに、

良い結果に結びつかないなどの、

様々な問題に対して、

全く異なる角度から、

解決法を見つけていきます。

 

問題はあなた自身にあるのではなく、

過去に起きた、

出来事に起因しているのかも知れません。

もし、そうならそれを手放すことは可能です。

 

 

 

 

4月からは新たなトレーニングが始まります。