風邪で寝込んでいたせいで、
思考能力を一切停止していたことから、
脳は現在、再起動待ちをしています。
それで、
先日は過去のニューズレターから、
6年前の文章をこちらに転載しました。
で、さらに1年遡ると、
どんな文章を書いていたのかなと思い、
7年前の文章を読み返してみたところ、
私ったら、
こんなことを考えていたのかと、
ちょっと面白く思ったものですから、
またまた
2017年の2月に配信したニューズレターを、
少しだけ読みやすく書き換えて、
今回も載せることにしました。
7年前の2月も、
体調を崩していたことが判明しました。
私の体質は2月とは相性が悪いようです。
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『癒しの必要性』⑴
#26−2017/2/17
久しぶりに寝込みました。
立ち上がる体力がなく、
喉が乾き水を飲みたいと思っても、
コップに水を注ぐ気力すら湧かない状態は、
実に久々でした。
多少気弱にはなりましたが、
安静にして、
とにかくなんとか水だけ飲んで、
ひたすら横になって過ごしました。
気力で、
自分を叱咤激励することには慣れていますが、
その気力が湧かないとのいうのは、
本当にどうにもならないものなのだなと、
改めて無力感というものを、
身にしみて感じました。
でも、それはありがたい体験でもありました。
常日頃、
ワークショップやトレーニングで、
決断し続けなくてはならない状況下では、
自分の弱い部分を感じることに、
鈍感になっていくようです。
先日のトレーニングのときに、
「癒し」という言葉が、
印象に残ることがあったので、
寝床の中でその場面を思い起こし、
私の脳内で、
その言葉が湧き上がる瞬間があるかなと、
探ってみたのです。
もし湧き上がるとしたら、
どんな場面だろうとか考えながら。
数年ぶりで本気で寝込んだこの数日間、
私はじっとしていれば、
自分の体力が、
回復していくのがなんとなくわかっていたし、
体力が回復すれば気力も着いていくことも、
これもまたわかっていたので、
特に焦ることもなく、
変化していく体の感覚にゆっくりと、
思考が従っていったという感じです。
それは言語で識別するなら、
「癒える」という感覚や文字とは別のもので、
「体力が回復する」、
あるいは「普通の状態になる」や、
「元に戻る」という感覚でした。
言葉の違いの感覚を丁寧に辿ると、
「癒える」は割と抽象的で、
「体力が回復する」は、
具体的というか現実的でした。
かつて、
ひどく傷ついていた若かりし頃、
救いを求めてさまよい、
探し回り、
たくさんのワークショップや、
セミナーやセラピーを体験したのですが、
その結果、
誰も私を助けることができない、
という結論に辿り着きました。
なぜなら、
私がどれほどひどい状態にいるかを理解して、
私に何が必要かを見つけて、
その必要なものを与えてくれる人とは、
巡り会わなかったから。
近いものをくれる人はいました。
でも、悩みはなくならなかったし、
それどころか、
自分の心のドアを開いて、
繊細な部分をさらけ出した時に、
そこにドカドカと靴も脱がずに入ってきて、
散々嗅ぎ回って、
ベタベタと指紋をつけ回った挙句、
でも何も本質的なことに届く助けはくれず、
時間がきたら、
後ろ手にドアを閉めて、
帰っていくセラピストに何人も会い、
傷を広げるだけで終わったこともありました。
高額のお金を払い、
後ろ手に絞められたドアのこちら側が、
いっそう荒むのを感じながら、
惨めな気持ちで帰路につくという経験は、
誰かが理解してくれるかも知れない、
その人が助けてくれるかも知れないと、
期待する自分を、
諦める機会を与えてくれました。
そこから私は、
外にあまり多くを期待しないと学んだのです。
未知の誰かが人生の途上で現れて、
私を救ってくれるかもしれないという、
漠然とした希望を捨てるのは、
どちらかと言うと殺伐とした気分でしたが、
自分で腹をくくって行動し始めると、
助けてはくれないけれど、
手助けをしてくれる人が、
次から次へと、
目の前に現れるようになりました。
〜⑵に続く〜
3月9日、10日の土日の二日間、
東京でワークショップを開催します。
しばらく全然お知らせできずにいたら、
ワークショップの働きかけ枠が、
余裕で空いています。
いじめのターゲットにされているとか、
ストーカーの、
被害を受けているといったケースも、
原因を探る手段として、
コンステレーションを使うことができます。
親が嫌い、親が怖い、
親を許せない等の親子関係の悩み、
何をやっても上手くいかない、
不運に付きまとわれている、
といった個人的な不調、
夫/妻との壊れた関係を修復したい、
といった夫婦関係の問題、
仕事では、
できる限りの努力をしてきたのに、
良い結果に結びつかないなどの、
様々な問題に対して、
全く異なる角度から、
解決法を見つけていきます。
問題はあなた自身にあるのではなく、
過去に起きた、
出来事に起因しているのかも知れません。
もし、そうならそれを手放すことは可能です。
4月からは新たなトレーニングが始まります。