今日は私がなぜ占いに興味を持ったのか、少しプライベートなことをお話ししようと思います。

 

 

本当のことを言うと、私は自分のことを話すのも人前にでるのも苦手です。

 

 

なぜなら物心つく頃から母にずっと「嫌われている」と感じてきて、

そのことから自分を表現することに、ずーっと恐怖がありました。

 

そして、それは今でも根深残っています。

 

 

 

 

 

母は父とお見合いをし、先妻の残した二人の子供(兄姉)と年老いた父の両親の面倒をみるため、

 

そして兼業農家の働き手として父のもとに後妻として嫁いできたのです。

 

その当時としては晩婚で、女性の自活も難しい時代だったため、生活のための結婚だったのでしょう。

 

近所には先妻の実家があり、母は継子をいじめてないかと常に注視しされているような環境でした。

 

 

しかも会社勤めの父は仕事場の近くに住んでいて、たまにしか帰って来ない。

 

母にとっては最初から過酷な結婚生活だったと想像できます。

 

 

 

 

 

それでも長男(兄)が生まれ、母はようやく自分の居場所ができ安堵したでしょう。

 

先妻の長男はなついてくれなかったので、兄に後継ぎとしての全期待をかけたのは無理もありません。

 

その後、私が生まれても母の態度は、兄を優遇しているのは傍からみても明らかでした。

 

 

4人兄弟の長女として封建的な家で育った母は、

娘の私にも当然のように母の「教育」を押し付けてきました。

 

母がしょっちゅう言っていたことは、 

「子供は親の言う事をきくのは当たり前」

「子供が親孝行するのは当前」という言葉です。

 

 

いったいいつの時代のこと(?)と思うかもしれませんが、そうやって育ってきた母にとっては

それが「当たり前」の価値観だったのです。

 

 

小学生のころ、本を読んでいて家の手伝いをしないでいると

「女の子に文字を覚えさせるものじゃない」とまで言われました。

 

そんな事を言われると、私は何とも言われぬ心の痛みを感じました。

 

 

 

 

 

母はなぜ私にそんなに冷たかったのか?

思い当たるのは、私は兄みたいに母に甘えるタイプではなかった。

 

兄は小学校へ行く年になっても母を後追いするような甘えん坊だったが、

私は冷静で淡々としていたので母からしたら可愛化がないと映ったのかもしれません。

 

 

また低血圧で虚弱体質だった私は朝が弱くてなかなか起きれず、

早起きの兄と絶えず比べてられて「怠け者」「根性がない」とレッテルを貼られ怒られてました。

 

母は朝方人間で5時前から起きて活動するのが当たり前でしたから、

私は怠け者としか映らなかったのかもしれません。

 

 

気づけば私は母から事あるごとに非難されていました。

 

「可愛げがない」「女の子らしくない」

「女の子なんだから○○して」「育てにくい子」などなど。

 

 

徐々に母の言ってることに反発するようになると「口答えして生意気」「素直じゃない」と

母は親戚や近所の人の前でも平気で私の悪口を言っていました。

 

そんな風に非難されるたびに「私は母に嫌われている」「愛されていない」と思えてなりませんでした。

 

 

なにより人前でも平気で娘の悪口を言う母に母性愛を全く感じられず、本当の母親なんだろうか?と、胸が痛み、そんな母を許すことが出来ませんでした。

 

 

もし私が折れて、表面的だけでも母の好む娘を演じていたら母の攻撃も弱まっていたかもしれませんが…

私は自分の価値観を曲げてまで母の言う通りには出来なかったのです。

 

 

 

 

 

いつしか私は母には何を言っても否定されるだけ、受け入れてもらえない。

 

それなら何も言わない方がマシと、言葉を飲み込むことが多くなったのです。

 

そして母とは心を開いて話すこともなくなっていました。

 

 

 

思春期になって、そんな母との考え方の違いはどこからくるのか、人はどうしてこうも考え方や捉え方が違うのか、

 

自分の性格のことや相手のことを知りたくて、本の中に何か答えが見つかるかもしれないと、私は星座の本を読みだしたのです。

 

中高生の私にはそれ位しか、悩みを解決してくれそうなものが見つからなかったのです。

 

 

 

本を読むにつれて、確かに母や家族とは気質や捉え方、生き方の本質は星座からみても全く違っていました。 

 

家族の中では私がまるで異端児のように映っていたのかもしれないと、何となく頭では理解することができました。

 

 

母と私は星座間の相性は最悪で、お互い理解し難く受け入れにくい価値観の全く違う「水と油」のような関係でした。

 

逆に母と兄はお互い引き合う、好ましく思う間柄。

 

 

相性の良し悪し、反発しあったり引き合ったりというものは確かにあると気づきました。

 

 

 

 

 

それが分かっても母と暮らすのは耐え難く、高校を卒業すると私はすぐに実家を出ました。

 

 

その後も盆や正月でも私は極力帰省を避けました。帰っても実家は心が安らぐ場所では無かったからです。

 

私にとって、家族が皆で楽しく過ごすその時期は切なく憂鬱な時期でした。

 

 

後半はまた次回に続きます。

 

  

 

 最後までお付き合い頂き、ありがとうございました