鏡餅 歴史 ③
古事類苑に掲載された江戸前期の鏡餅は黒
明治29年から大正3年に百科事典として刊行された古事類苑(こじるいえん)‐歳時部‐歳暮‐餅搗の項に、江戸前期の京都周辺の民間の習俗を採録した「日次紀事」からの転載として、鏡餅についての解説がある。
関係箇所を要約すると、次のとおり。旧暦の12月末の夜に、倭俗として円型や菱瓢箪型の餅を搗(つ)き、それを神仏に供えたり母方の親族に贈ることを鏡を据えるという。大きい円を鏡に似ていることから鏡と言い、その鏡餅の上に小さい円を載せることは義である。その形が天に相似ることから小さいものを星点という。
なお、星空に似る星点を乗せた鏡餅の色は黒かったようだ。1943年4月10日の大阪毎日新聞に、「昔でも代用食研究 食糧問題の史的意義 本庄商大学長講演」と題する記事があり、そこには、江戸時代の初期国民は一般に雑炊または黒米飯を常食としたと記されている。また、江戸時代初期に活躍した松尾芭蕉の俳句に、「花にうき世我が酒白く飯黒し」がある。