相馬野馬追 歴史
起源は、鎌倉開府前に、相馬氏の遠祖である平将門が、領内の下総国相馬郡 小金原(こがねはら。現在の千葉県松戸市)に野生馬を放し、敵兵に見立てて軍事訓練をした事に始まると言われている。鎌倉幕府成立後はこういった軍事訓練が一切取り締まられたが、この相馬野馬追はあくまで神事という名目でまかり通ったため、脈々と続けられた。
1868年の戊辰戦争で中村藩が明治政府に敗北して廃藩置県により消滅すると、1872年に旧中村藩内の野馬がすべて狩り獲られてしまい、野馬追も消滅した。しかし、原町の相馬太田神社が中心となって野馬追祭の再興を図り、1878年には内務省の許可が得られて野馬追が復活した。祭りのハイライトの甲冑競馬および神旗争奪戦は、戊辰戦争後の祭事である。
相馬氏は将門の伝統を継承し、捕えた馬を神への捧げ物として、相馬氏の守護神である「妙見大菩薩」に奉納した。これが現在「野馬懸」に継承されている。この祭の時に流れる民謡『相馬流れ山』は、中村相馬氏の祖である相馬重胤(そうま しげたね)が住んでいた下総国葛飾郡(かつしかぐん)流山郷(ながれやまごう。現在の千葉県流山市)に因んでいる。
戊辰戦争後の祭りおよび神事の初日は、1872年(当初は太田神社のみの小規模な祭礼)以降、旧暦5月の申日に合わせて7月1日、1904年以降、天候不順を回避するために7月11日、1960年以降、さらに梅雨期そのものを避けるために7月17日と変遷してきたが、1966年からは小学校の夏休み開始に合わせて7月23日となっていた。2011年から神事と祭りは日程が分離されることになり、神事は24日・25日に日にち固定で実施し、祭りは7月最終週の土曜日に開幕することになった。ただし、7月最終週の土曜日に開幕すると8月上旬にまで日程が及ぶ場合は、祭りを前週に繰り上げて開催する。
騎馬武者を500余騎を集める行事は現在国内で唯一である。馬は一部の旧中村藩士族の農家、相馬中村神社や野馬追参加者により飼育されてはいるが、多くは関東圏からのレンタルによって集められている。
なお、2011年に開始された「東北六魂祭」(とうほくろっこんさい)では、この相馬野馬追の紹介は被災地の伝統行事であるにもかかわらずまだ行われていない。