北上・みちのく芸能まつり 沿革

 


高度経済成長期の1962年昭和37年)8月16日に北上商業高(現・専大北上高(専修大学北上高等学校))の校庭にて開催された「みちのく郷土芸能まつり」を第1回とする(前年10月1日日本国有鉄道(国鉄)がサンロクトオ(※)実施)。1964年(昭和39年)の第3回より、同年5月3日に落成した北上市民会館2003年5月31日閉館)に会場を移し、翌年の第4回より県外の団体の出演も受け入れて昼夜2回公演となった。



1968年(昭和43年)の第7回より前夜祭を開催したが、観光入込客数は1万人そこそこだった。1969年(昭和44年)の第8回より8月15日・16日の2日間の開催に変更し(前年10月1日に国鉄がヨンサントオ実施)、会場を4つにするなど規模を拡大、また、事前PR映画を制作してマスコミで宣伝したところ、2日間で約10万人を集めた。



その後も10万人を大きく超える観光入込客数が継続されたため、1971年(昭和46年)の第10回より正式に「東北五大まつり」と名乗るようになった。1974年(昭和49年)に国鉄が「東北六大祭」の1つに指定した。なお、東北六県県庁所在地の代表的な夏祭りが参加している東北六魂祭とうほくろっこんさい。2011年2016年)や東北絆まつり2017年~)に盛岡さんさ踊り岩手県の県庁所在地である盛岡市を代表して参加しているが、盛岡さんさ踊りが祭りとして第1回を開催したのは1978年(昭和53年)であるため、当祭が「東北五大まつり」あるいは「東北六大祭」を称し始めた頃には存在していなかった。



1975年(昭和50年)の第14回より現称の「北上・みちのく芸能まつり」になった。1977年(昭和52年)11月19日、岩手県初の高速道路高速自動車国道)である東北縦貫自動車道(営業路線名:東北自動車道)が開通し、当地に最寄りの北上江釣子(きたかみえづりこ)ICが供用開始された。



1982年(昭和57年)6月23日東北新幹線北上駅開業を機に、同年の第21回より夜型のまつりに衣替えし、また8月14日から16日までの3日間の日程に変更した。1983年(昭和58年)の第22回からは他の東北の夏祭りとの周遊がし易い8月7日から9日の3日間の日程に変更した。



バブル景気期の1988年(昭和63年)の第27回では、初めて海外の団体(中華人民共和国雲南省の少数民族の舞踊団)が出演した(その後も大韓民国インドネシア等からも招致した)。



2000年平成12年)の第39回および2001年(平成13年)の第40回にはイベント放送局(前者の呼出符号はJOYZ2AI-FM、後者のそれはJOYZ2AJ-FM)を開局し、FMで花火の実況中継を行った。



2004年(平成16年)の第43回より、閉館した北上市民会館に替わってオープンした北上市文化交流センター さくらホール2003年11月27日開館)を会場の1つとした。2006年(平成18年)の第45回より、開催日程を日にち固定から8月第1土曜日から3日間へと変更した。



2010年(平成22年)以降毎年、当祭とは別に「秋の子どもみちのく芸能まつり」を11月に開催している。これは、文化庁の平成22年度「地域伝統文化総合活性化事業」に採択された北上市文化財活性化プランによって始まったもので、その後も同様の補助金を得てさくらホールにて開催している。

 

 



(※)サンロクトオ

サンロクトオ(3・6・10)とは、日本国有鉄道(国鉄)が昭和36年(1961年10月1日に実施した白紙ダイヤ改正を指す、おもに鉄道関係者・鉄道ファンの間で使われる通称である。



昭和43年(1968年)10月1日に実施されたダイヤ改正(通称「ヨンサントオ」)と並ぶ大規模な全国ダイヤ改正であり、全国的に「特急列車網」が形成されたダイヤ改正として特筆されるものである。このとき、初めて「白紙改正」という言葉が使われた。