日高火防祭り 概要 

 


京都祇園祭を模した華やかな祭。豪華絢爛なはやし屋台が繰り出され、町中を練り歩く。祭は各九町組から「町印」(ちょうじるし)「打ちばやし」「はやし屋台」の三つの屋台が繰り出す(駅前三町組・城内組・吉小路組は明治以降の参加町組のため、町印、打ちばやしは持たずはやし屋台のみである)。



「町印」(ちょうじるし)は、町を象徴する漢字一文字と町名が書かれた標識部の回りを井戸馬簾(ばれん)火の玉柄杓等で飾り付けた屋台で、各町組の先頭に立つ。江戸時代、水沢城主が城下六町にそれぞれ「仁」(川口町組)・「心」(立町組)・「火」(柳町組)・「防」(大町組)・「定」(横町組)・「鎮」(袋町組)の漢字一文字を与え、各町はそれをシンボルマークとして掲げたのが町印の始まりである。この文字を繋げると「仁心をもって火防を定鎮す」(順序には異説有り)と、防火の心得を謳ったものと云われている。



「打ちばやし」は、屋台とその中で演奏されるお囃子の総称を指し、「内ばやし」又は「トットコメー」とも呼ばれる。天井には権現様が祀られ、見返りには枝垂桜の造花が飾られている。はやし屋台よりも一回り小さく、演奏は笛師(2人)、大太鼓を叩く男子(2人)、小太鼓を叩く幼児数名で構成され、全町組同じ音曲。初段・二段・三段の3曲で構成され、この祭で最も古い祭囃子であり、西洋音楽のソナタ形式に酷似する音曲と云われている。



江戸時代後期までは町印と打ちばやしがこの祭の原型であった。