禍津日神(まがつひのかみ、まがついのかみ)
禍津日神(まがつひのかみ、まがついのかみ)は神道の神である。禍(マガ)は災厄、ツは「の」、ヒは神霊の意味であるので、マガツヒは災厄の神という意味になる。
神産みで、黄泉から帰ったイザナギが禊を行って黄泉の穢れを祓ったときに生まれた神で、『古事記』では八十禍津日神(やそまがつひのかみ)と大禍津日神(おほまがつひのかみ)の二神、『日本書紀』第五段第六の一書では八十枉津日神(やそまがつひのかみ)と枉津日神(まがつひのかみ)としている。これらの神は黄泉の穢れから生まれた神で、災厄を司る神とされている。神話では、禍津日神が生まれた後、その禍を直すために直毘神(なおびのかみ)二柱と伊豆能売(いづのめ)が生まれている。なお、『日本書紀』同段第十の一書ではイザナギが大綾津日神を吹き出したとしている。これが穢れから生まれたとの記述はないが、大綾は大禍と同じ意味であり、大禍津日神と同一神格と考えられている。
後に、この神を祀ることで災厄から逃れられると考えられるようになり、厄除けの守護神として信仰されるようになった。この場合、直毘神が一緒に祀られていることが多い。
イザナギとイザナミの間の子に大屋毘古神(おおやびこのかみ)がいるが、これは「大綾」から「あ」が取れて「大屋」になったものとされ、大綾津日神(大禍津日神)と同一神格とされる。スサノオの子で、大国主の神話においてオオナムジ(大国主)がその元に逃れてきた大屋毘古神とは別神格である。
また、本居宣長は、禍津日神を祓戸神(はらえどのかみ)の一柱である瀬織津比売神(せおりつひめのかみ)と同神としている。『中臣祓訓解』(なかとみのはらえくんげ)『倭姫命世記』(やまとひめのみことせいき)『天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記』『伊勢二所皇太神宮御鎮座伝記』は伊勢神宮内宮第一別宮の荒祭宮(あらまつりのみや)祭神の別名として瀬織津姫、八十禍津日神を記している。