ヒメヒコ制 記紀伝承のヒメ・ヒコ

 


ヒメ・ヒコの一対的命名は、ヤマト王権の確立当初の崇神天皇期前後の諸文献の上に最も著しく見えている。孝元天皇期にハニヤスヒメ・ヒコ、開化天皇期にオケツヒメ・ヒコ、崇神天皇期にトヨキイリヒメ・ヒコ、ヤサカイリヒメ・ヒコ、垂仁天皇期にサホヒメ・ヒコ、景行天皇期にイオキヒリヒメ・ヒコなどが伝えられている。これらの伝承はこの頃がヒメヒコ制の最盛期ではなく、すでにその実質を失い、命名上の遺習としてのみ残され、守られているものと考えられる。ただし多数の兄弟姉妹の中から特に一対の人物を選んで命名するという習慣はかつて臨時的あるいは世襲的にヒメヒコを選びだし統治者と仰いだことの反映と考えられる。