ヒメヒコ制
ヒメヒコ制とは、古代に日本各地で成立した、ヒメとヒコによる共立的統治形態をさす用語。
ヤマト王権が成立する前後の古代日本では祭祀的農耕従事的女性集団の長(ヒメやミコ、トベを称号とした)と軍事的戦闘従事的男子集団の長(ヒコ、タケル、ワケあるいはネを称号とした)が共立的あるいは分業的に一定地域を統治していた。『古事記』、『日本書紀』、『風土記』などの文献には宇佐地方(豊国(とよのくに))にウサツヒコとウサツヒメ、阿蘇地方にアソツヒコとアソツヒメ、加佐地方(丹後国)にカサヒコとカサヒメ、伊賀国にイガツヒメとイガツヒコ、芸都(きつ)地方(常陸国)にキツビコとキツビメがいたことを伝えている。また『播磨国風土記』では各地でヒメ神とヒコ神が一対で統治したことを伝えている。そのような女性・男性の首長はその地の神社の由来となっていることが多い。ヒメやヒコを神社名や祭神名にしている地域はかつてヒメヒコ制の統治があったことを物語っている。