綏靖天皇 陵・霊廟

 


綏靖天皇の(みささぎ)は、宮内庁により奈良県橿原市四条町にある桃花鳥田丘上陵(つきだのおかのえのみささぎ)に治定されている。公式形式は円丘。考古学名・俗称として「塚山」(つかやま)「塚根山」(つかねやま)とも(直径30メートルの円墳か)。



陵について『日本書紀』では前述のように「桃花鳥田丘上陵」、『古事記』では「衝田岡(つきだのおか)」の所在とあるほか、『延喜式』諸陵寮では「桃花鳥田丘上陵」として兆域は東西1町・南北1町、守戸5烟で遠陵としている。しかし中世には荒廃して所在が失われた。元禄の探陵の際に諸説が生じ、慈明寺町のスイセン塚古墳(前方後円墳、墳丘長55m)に綏靖天皇陵が、現陵に神武天皇陵が比定されていた。しかし幕末修陵に際して改められ、明治11年(1878年)に現陵が綏靖天皇陵に治定された。考古学調査は行われていないため、円墳状であるものの古墳であるかは明らかでない。陵のある橿原市四条町周辺では、昭和62年(1987年)以降の調査により藤原京造営で削平された古墳群の存在が明らかとなっており、この古墳群と神武陵・綏靖陵との関連が指摘される。



また皇居では、宮中三殿の1つの皇霊殿(こうれいでん)において他の歴代天皇・皇族とともに綏靖天皇の霊が祀られている。そのほか、阿蘇神社(あそじんじゃ)では「金凝神」(かなこりのかみ)として十二宮に祀られている。