神仏分離(しんぶつぶんり)

 


神仏分離(しんぶつぶんり)は、神仏習合の慣習を禁止し、神道仏教神社寺院とをはっきり区別させること。



その動きは早くは中世から見られる(※)が、一般には江戸時代中期後期以後の儒教国学復古神道に伴うものを指し、狭義には明治新政府により出された神仏判然令(神仏分離令。慶応4年3月13日1868年4月5日)から明治元年10月18日(1868年12月1日)までに出された太政官(だじょうかん)布告神祇官事務局達(たっし)太政官達など一連の通達の総称)に基づき全国的に公的に行われたものを指す。

 

 


(※)

宮中においても即位灌頂(そくいかんじょう)大元帥法(だいげんすいほう)御斎会(ごさいえ)をはじめとする仏教儀礼の導入が行われる一方で、神仏隔離・神事優先の原則が古代より一環として守られている分野が存在しており、公家社会においても仏事と神事の間では神事優先の理念が強かった(井原今朝男(いはら けさお)『中世の国家と天皇・儀礼』校倉書房、2012年、p.168-169・172)。