加茂神社(黒潮町) 歴史

 


創建は不詳。延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳において土佐国幡多郡に「賀茂神社」と記載される式内社に比定される。



伝承では、加茂神社は元は入野本村(いりのほんむら)の賀茂屋敷(加茂屋敷)に、八幡宮は早咲(はやさき)の八幡原にそれぞれ鎮座したが、両社は1つになり入野松原に移ったという。『土佐国式社考』においても賀茂・八幡両社は元は本村にあったが1つになった時は不明とし、『西浦廻見日記』でも両社が本村にあったとする。



中世期について、伝承では応仁1467年-1468年)の頃に藤原家基が再興したという。また天正17年(1589年)の「入野大方之郷地検帳」では、社領として入野大方郷の5村3町6反余が記される。



江戸時代に入り、宝永4年(1707年)の宝永の大地震の時には社殿が津波被害に遭っている。『南路志』によれば浸水で社殿が浮いたが、津波が引くと社殿が元の場所に戻ったという。また境内には、この時の津波の惨状を記す碑が伝世される。なお、古くは臨済宗大方山長泉寺(ちょうせんじ)が別当寺を担っていた。



明治維新後、明治5年(1872年)に近代社格制度において郷社に列している。