斉明天皇 研究 皇后冊立
河内祥輔(こうち しょうすけ)は、舒明天皇には敏達・推古両天皇の皇女である田眼皇女(ためのひめみこ)も妃にいたにも関わらず、敏達天皇の皇曾孫に過ぎず且つ一度婚姻経験のある皇極天皇が皇后になったのを疑問として、天智天皇の生母として後世に「皇后」としての地位を付与されたとする説を採る。
また、仮説としながらも寶女王の天皇在位を斉明天皇としてのみとして、舒明天皇崩御後から孝徳天皇即位までは内乱による天皇空位期であり、上宮王家滅亡から古人大兄皇子(ふるひとのおおえのみこ)殺害までの「事件」は内乱による「戦い」であった可能性を指摘している。
※冊立(さくりつ)
勅命により皇太子・皇后などを正式に定めること。さくりゅう。