朝峯神社 歴史 概史

 


国史では、貞観8年(866年)に「朝岑神」の神階が従五位下から従五位上 に昇叙されたと見える。



延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳では土佐国長岡郡に「朝峯神社」と記載され、式内社に列している。『和名抄』に見える地名のうちでは、現鎮座地は長岡郡気良郷に比定される。



中世には当地の豪族の横山氏から崇敬を受け、横山氏による造営があったことが棟札等に見える。天正16年(1588年)の『介良庄地検帳』では「朝峯大明神」として記載があり、規模として「一社、舞殿横殿、五間弐間、鳥居馬場」とあるほか、多くの神領が記されている。



江戸時代には、元文4年(1739年)の社殿修復に際して近隣の西養寺(さいようじ)との間で訴訟を起こしたと『南路志』に記されている。また明和2年(1765年)には、土佐藩山内家(やまうちけ/やまのうちけ。※)の祈願所の8社目に加えられて崇敬を受けた。



明治5年(1872年)、近代社格制度において郷社に列した。

 

 

 

 


※土佐山内氏 

土佐山内氏(とさやまうちし)は、日本の氏族。本家は山内を「やまうち」、各分家は「やまのうち」と称する。通字は「豊」。本来庶流の家ならば、読み仮名は変わらないが何故一説を持ってこのように、土佐山内氏の本家が備後山内氏の(庶流)を称して(やまうち)となって、その分家(支流の支流)が本流の(やまのうち)に回帰しているのか、不明である。