神功皇后(じんぐうこうごう)

 

 

神功皇后(じんぐうこうごう、成務天皇40年 - 神功皇后69年4月17日)は、仲哀天皇皇后。『日本書紀』では気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)・『古事記』では息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)・大帯比売命(おおたらしひめのみこと)・大足姫命皇后。父は開化(かいか)天皇玄孫・息長宿禰王(おきながのすくねのみこ)で、母は天日矛(あめのひぼこ)裔・葛城高顙媛(かずらきのたかぬかひめ)。応神天皇の母であり、この事から聖母(しょうも)とも呼ばれる。弟に息長日子王(おきながひこのみこ)、妹に虚空津比売(そらつひめ)、豊姫(とよひめ)あり。



三韓征伐(さんかんせいばつ)を指揮した逸話で知られる。