ワケ ワケ神社
延喜式神名帳にはワケ(別、和気)の名がつく神社が45を数える。この内、「イワトワケ(石門別、石別、岩門別、伊波止和気)」を名とする11の共通名的なワケ神社を除くと34の独自名的なワケ神社が存在する。それらは東海道および東山道を中心に分布している。特に伊豆国には11、また陸奥国南部(現在の福島県・宮城県)には5の独自名的なワケ神社が集中している。伊豆国風土記逸文には「伊豆別王子者。景行天皇二十四子武押分命也」と記されており、伊豆国のワケ神社は景行天皇子孫の名を伝えている。陸奥国白川郡および安積郡の4つのワケ神社は古事記に伝えるヤマトタケルの子孫「石代之別」の可能性が高い。白川郡と安積郡の間には岩瀬(岩背)郡があり、かつてこの領域は石代(岩背)国と呼ばれた。したがって白川郡および安積郡のワケ神社は「石代之別」およびその子孫の名を伝えていると考えられる。崇神天皇時代にタケヌナカワワケ将軍(武渟川別、建沼河別命)は東海道を征服して陸奥国の会津まで及んだという伝説がある。その沿線である伊豆国や岩代国にワケ神社が点在しているのは、そうしたワケ将軍伝説の基となった史実を反映すると考えられる。
陸奥国亘理郡(わたりぐん)および黒川郡のワケ神社(鹿嶋天足別神社。かしまあまたらしわけじんじゃ)は浮田(うきた)国造(陸奥国宇多郡)になったと伝えられるカガワケ(賀我別、鹿我別)およびその子孫に因むものと考えられる。浮田国には亘理郡も含まれていた可能性が高く、黒川郡へはカガワケの子孫が移住した可能性が考えられる。古事記が伝えるヤマトタケルの子孫「漁田之別」は浮田之別の誤字の可能性が高く、応神天皇時代の鹿我別がこの領域の国造になったことに由来すると考えられる。