ワケ 4世紀皇族の地方領主的称号
ワケは初め皇族の子孫、とりわけ軍事的指導者(王族将軍)で、地方に領地を得た者の称号として用いられた。その中心時代は4世紀前半の垂仁天皇から景行天皇およびヤマトタケルが日本を支配した時期である。垂仁天皇の子孫7人、景行天皇およびヤマトタケルの子孫31人のワケを始祖とする氏族が存在した。景行紀に「70余子皆国郡に封ず。--77王は、 悉く国々の国造、また和気及び稲置、県主に別け賜ひき」とあり、皇子の中には国造や県主と並んで地方領主となりワケのカバネを称した者もあるが、ほかの多くの皇子は国造などから領地の一部を得ただけで、その後家系が途絶えたものと考えられる。4世紀後半の成務天皇および仲哀天皇期にはワケの称号をつけられた皇子はほとんど見られなくなる。これは皇子に分け与える領地がなくなったためとも考えられる。