応神天皇 在位年と西暦との対照

 


当天皇の在位について、実態は明らかでない。『日本書紀』に記述される在位を機械的に西暦に置き換えた年代については「上古天皇の在位年と西暦対照表の一覧」を参照。



年代に関して、『日本書紀』では応神天皇3年条に百済の辰斯王(しんしおう)が死去したことが記述されているが、『三国史記』「百済本紀」の辰斯王が死去したと記述されている年は西暦392年である。また、『日本書紀』では応神天皇8年条に「百済紀には、阿花王(あくえおう、あかおう)が王子直支(とき)を遣わしたとある。」と記述されているが、『三国史記』「百済本紀」において阿花王(阿莘王阿芳王と記載)が太子腆支(てんし。直支のことを遣わしたと記述されている年阿莘王6年西暦397年である。また、『日本書紀』では応神天皇16年条に百済の阿花王が死去したことが記述されているが、『三国史記』「百済本紀」において阿花王阿莘王阿芳王と記載)が死去したと記述されている年阿莘王14年西暦405年である。(詳しくは百済史年表を参照)