タケミナカタ ほかの説話における諏訪の祭神 洩矢神との戦い ①
国史では征服される神として描かれるタケミナカタは、諏訪の伝承では征服する神として登場する。
明神入諏神話の最古の記録は、宝治3年(1249年)の『諏訪信重解状』(『大祝信重解状』、『大祝信重申状』とも)である。これは上社と下社間でいずれが本宮であるかと争った際、上社大祝(おおほうり)の諏訪信重から鎌倉幕府に提出された訴文である。
『解状』が語る地元の伝承によると、天から降臨した諏訪明神は、守屋大臣(もりやだいじん)の領地を手に入れるために、藤鎰(かぎ)を持ち出し、鉄鎰を手にした大臣と引き合ったが、明神が勝ち、大臣を追討したという。
守屋山麓御垂迹の事
右、謹んで旧貫を検ずるに、当砌(みぎり)は守屋大臣の所領なり。大神天降り御(たま)ふの刻、大臣は明神の居住を禦(ふせ)ぎ奉り、制止の方法を励ます。明神は御敷地と為すべきの秘計を廻らし、或は諍論を致し、或は合戦に及ぶの処、両者雌雄を決し難し。
爰(ここ)に明神は藤鎰(ふぢかぎ)を持ち、大臣は鉄鎰を以て、此の処に懸けて之(これ)を引く。明神即ち藤鎰を以て、軍陣の諍論に勝得せしめ給ふ。 而(しか)る間、守屋大臣を追罰せしめ、居所を当社に卜して以来、遙かに数百歳の星霜を送り、久しく我が神の称誉を天下に施し給ふ。応跡の方々是(これ)新なり。
明神、彼(か)の藤鎰を以て当社の前に植ゑしめ給ふ。藤は枝葉を栄え「藤諏訪の森」と号す。毎年二ヶ度の御神事之を勤む。爾(それ)より以来、当郡を以て「諏方」と名づく。(原漢文)