菟道稚郎子 宇治部

 


菟道稚郎子の御名代(みなしろ)の部、すなわち菟道稚郎子の名を冠した朝廷直轄のとしては、宇治部(うじべ、宇遅部)が指摘される。この宇治部の伴造(とものみやつこ)氏族としては、宇治部氏(宇遅部氏、)が史書上に見える。『新撰姓氏録』には河内国神別と和泉国神別に記載があり、饒速日命(にぎはやひのみこと)の六世孫・伊香我色乎命(いかがしこおのみこと。伊香我色雄命)の後裔と伝えている。これら2氏一族の人名は他の史書上には見えないが、直(あたい)姓・無姓の者は、武蔵国常陸国下野国近江国越前国備前国讃岐国筑前国といった全国に及んでいる。なお『先代旧事本紀』では、饒速日尊七世孫の多弁宿禰命が宇治部氏の祖と伝えている。



なお、宇治部自体は菟道稚郎子の御名代部としての確証には至っておらず、『国史大辞典』では「確かな御名代部名」には挙げられていない。また、他の「宇治」を冠する氏族として宇治部氏と同じ物部氏系を称する宇治氏(姓は連のち宿禰)があり、宇治部の管掌氏族とする説がある。