菟道稚郎子 記録 風土記
『山城国風土記』逸文では、菟道稚郎子が住んだ宮は「桐原日桁宮(きりはらのひげたのみや)」と記載される。また「宇治」の地名の由来はこの宮が営まれたためとし、それ以前の当地は「許乃国(このくに)」と言ったとする。
『播磨国風土記』には「宇治天皇の世」という記載があり、事績は見えないがこの「宇治天皇」は菟道稚郎子を指すと見られている。
菟道稚郎子 記録 風土記
『山城国風土記』逸文では、菟道稚郎子が住んだ宮は「桐原日桁宮(きりはらのひげたのみや)」と記載される。また「宇治」の地名の由来はこの宮が営まれたためとし、それ以前の当地は「許乃国(このくに)」と言ったとする。
『播磨国風土記』には「宇治天皇の世」という記載があり、事績は見えないがこの「宇治天皇」は菟道稚郎子を指すと見られている。