宗像三女神(むなかたさんじょしん) ③
『古事記』神代上巻に「この三柱の神は、胸形君等のもち拝(いつ)く三前(みまえ)の大神なり」とあり、元来は宗像氏(むなかたし。胸形氏)ら筑紫(九州北部)の海人族(かいじんぞく、あまぞく)が古代より集団で祀る神であったとされる。海を隔てた大陸や半島との関係が緊密化(神功皇后による三韓征伐神話など)により土着神であった三神が4世紀以降、国家神として祭られるようになったとされる。
『日本書紀』については、卷第一・神代上・第六段の「本文」とその「一書」で天照大神と素戔嗚尊の誓約の内容が多少異なる。降臨の地は、福岡県の宗像地方東端の鞍手郡鞍手町(くらてまち)の六ヶ岳(むつがだけ)という山で、筑紫国造の田道命の子孫の、長田彦(小狭田彦)が、天照大神の神勅をうけて神籬(ひもろぎ)を建てたのが祭祀の始まり。『宗像大菩薩御縁起』『香月文書』『六ケ岳神社記』『福岡県神社誌』など。天照大神が「汝三神(いましみはしらのかみ)、道の中に降りて居(ま)して天孫(あめみま)を助け奉(まつ)りて、天孫の為に祭られよ」との神勅を授けたと記されている。これは現代まで祭祀が続く御神名とその鎮座地が明確に記載される記述では、最も古い。
なお、第三の「一書」では、この三女神は先ず筑紫の宇佐嶋の御許山に降臨し宗像の島々に遷座されたとあり、宇佐神宮では本殿二之御殿に祀られ、この日本書紀の記述を神社年表の始まりとしている。八幡神の比売大神である。