ツクヨミ 『日本書紀』 顕宗紀
ツクヨミは、神々にかわって人間の天皇が支配するようになった時代(神代から人代に移行した後)に再び現れる。『書紀』巻十五の顕宗紀には、任那へ派遣された阿閉臣事代(あえのおみことしろ)に月神が憑いて高皇産霊をわが祖と称し、「我が月神に奉れ、さすれば喜びがあろう」と宣ったので、その言葉通り山背国(やましろのくに。山城国)の葛野郡に社を建て、壱岐県主の祖・押見宿禰(おしみのすくね)に祭らせたという記録がある。これが山背国の月詠神社の由来であり、宣託された壱岐には月讀神社(つきよみじんじゃ)が存在し、山背国の月読神社(つきよみじんじゃ)の元宮と言われている。が、これは現在では橘三喜(たちばな みつよし)の誤りで、宣託された本来の式内社月読神社は男岳にあった月読神社とされる。今は遷座され箱崎八幡神社(はこさきはちまんじんじゃ)に鎮座している。