オオヤマツミ 神話での記述 ②
『日本書紀』では、イザナギが軻遇突智(かぐつち)を斬った際に生まれたとしている。
天之狭霧神の娘の遠津待根神(とおつまちねのかみ)は、大国主大神の8世孫の天日腹大科度美神(あめのひばらおおしなどみのかみ)との間に遠津山岬多良斯神(とおつやまさきたらしのかみ)を産んでいる。
オオヤマツミ自身についての記述はあまりなく、オオヤマツミの子と名乗る神が何度か登場する。 八岐大蛇(やまたのおろち)退治において、素戔嗚尊(すさのを)の妻となる奇稲田姫(くしなだひめ)の父母、足名椎神・手名椎神(あしなづち・てなづち)はオオヤマツミの子と名乗っている。
その後、スサノオの系譜において、オホヤマツミ神の娘である神大市比売神(かむおほいちひめ)との間に大年神(おおとしのかみ)と倉稲魂命(うかのみたま)をもうけていると記している。また、クシナダヒメとの間の子、八島士奴美神(やしまじぬみ)は、オオヤマツミの娘の木花知流比売(このはなちるひめ)と結婚し、布波能母遅久奴須奴神(ふはのもぢくぬすぬ)を生んでいる。フハノモヂクヌスヌの子孫が大国主大神である。
天孫降臨の後、瓊々杵尊(ににぎのみこと)はオオヤマツミの娘である木花開耶姫(このはなさくやびめ)と出逢い、オオヤマツミはコノハナノサクヤビメとその姉の磐長姫(いわながひめ)を差し出した。ニニギが容姿が醜いイワナガヒメだけを送り返すと、オオヤマツミはそれを怒り、「イワナガヒメを添えたのは、天孫が岩のように永遠でいられるようにと誓約を立てたからで、イワナガヒメを送り返したことで天孫の寿命は短くなるだろう」と告げた。