九十九王子 出現と盛衰
王子の名の初出史料と考えられているのは、増基(ぞうき)の手による参詣記『いほぬし(庵主)』にある「わうじのいはや(王子の岩屋)」で、花の窟(はなのいわや)についての記事に登場する。この文書の成立年代は10世紀後半から11世紀半ばまでと見られているが、これに次ぐのは1081(永保(えいほう、えいほ)元)年の藤原為房(ふじわらの ためふさ)の日記『大御記』(だいぎょき)の日根王子(ひねおうじ)での奉幣の記事であり、少なくとも11世紀には熊野に王子と呼ばれる神社があったことが確認できる。12世紀に入ると、ほとんどバブルと呼べそうなほど王子社が急増乱立し、史料にも新王子の記述が増える。13世紀になってもしばらくはこの傾向が続き、12~13世紀に最盛期を迎える。だが、こうした新王子の中には、短命のものもかなりあった。その後、概ね鎌倉時代以降に、熊野詣の主体の変化や熊野詣自体の後退に伴って、多くは衰退するにいたった。