刺田比古神社 歴史 創建

 


社伝では、道臣命十世孫の大伴佐氐比古命が功により当地「岡の里」を授かり、命の後も代々治めたとする。その後、二十世孫の大伴武以(おおともの たけもち)が当地に住むにあたってこの地に祖神を祀ったのが創祀といい、里人はそれを「国主ノ神」「大国主神」として祀ったという。



刺田比古神社側では、境内にある「岡の里古墳」という古墳を大伴氏の墓と見るほか、『続日本紀』巻30にある「名草郡片岡里」から出た大伴部の記載から、当地と大伴氏との関係の深さを指摘している。