ニニギ 天孫降臨

 


天照大御神(あまてらすおおみかみ)の命令を受けた建御雷神(たけみかづちのかみ)天鳥船神(あめのとりふねのかみ)大国主から国譲りを受けて葦原中国の統治権を確保する。 その後に天照大御神の命により、ニニギノミコトは葦原中国を統治するため高天原から地上に降りたという。これを天孫降臨と呼ぶ『古事記』では、この降臨の地については「竺紫の日向の高千穂の久士布流多気(くしふるだけ)に天降りまさしめき」と記述している。『日本書紀』では、「日向襲之高千穗峯」あるいは「筑紫日向高千穗」と記述している。



この降臨の経路の解釈ついては、日向国(ひむかのくに、ひゅうがのくに)高千穂峰(たかちほのみね)に降り吾田国(あたのくに。現在の鹿児島県南さつま市)の長屋の笠狭碕(かささのみさき)に到達したとする説のほか諸説ある。日向(ひむか)の歴史はかなり古く、鹿児島県大隅地方もその昔は日向と呼ばれていた。行政上、日向国が設置されたのは7世紀になる。



三重県鈴鹿市の椿大神社(つばきおおかみやしろ)の境内にニニギノミコトが天孫降臨の際に使用した御船が降り立ったという伝承地(御船磐座(みふねのいわくら))が存在する。同神社の伝承によるとニニギノミコト一行は猿田彦命の導きによりまずこの椿大神社の鎮座する事になる地に天降った後に日向の地へと向かったとの事である。