荒神 信仰史

 


荒神信仰は、西日本、特に瀬戸内海沿岸地方で盛んであったようである。ちなみに各県の荒神社(こうじんじゃ)の数を挙げると、岡山(200社)、広島(140社)、島根(120社)、兵庫(110社)、愛媛(65社)、香川(35社)、鳥取(30社)、徳島(30社)、山口(27社)のように中国、四国等の瀬戸内海を中心とした地域が上位を占めている。他の県は全て10社以下である。県内に荒神社が一つもない県も多い。



荒神信仰には後述するように大別すると二通りの系統がある。(三系統ともいう。)屋内に祀られるいわゆる「三宝(寶)荒神」*(1)、屋外の「地荒神」である。



屋内の神は、中世の神仏習合に際して修験者陰陽師などの関与により、火の神竈の神の荒神信仰に、仏教、修験道の三宝荒神(さんぽうこうじん/さんぼうこうじん)信仰が結びついたものである。地荒神は、山の神、屋敷神、氏神、村落神の性格もあり、集落や同族ごとに樹木や塚のようなものを荒神と呼んでいる場合もあり、また牛馬の守護神、牛荒神の信仰もある。



御祭神は各県により若干の違いはあるが、道祖神(どうそじん、どうそしん)奥津彦命(おきつひこのみこと)、奥津姫命(おきつひめのみこと)、軻遇突智神(カグツチ)の火の神様系を荒神として祀っている。神道系にもこれら火の神、竃(かまど)の神の荒神信仰と、密教道教陰陽道等が習合した「牛頭天王(ごずてんのう)」のスサノオ信仰との両方があったものと考えられる。祇園社ぎおんしゃ。八坂神社(やさかじんじゃ))では、三寶荒神は牛頭天王の眷属(けんぞく)神だとしている。



牛頭天王は、祇園会系の祭りにおいて祀られる神であり、インドの神が、中国で密教道教陰陽思想と習合し、日本に伝わってからさらに陰陽道と関わりを深めたものである。疫神(えきじん。疫病神)の性格を持ち、スサノオ尊と同体になり、祇園会の系統の祭りの地方伝播を通して、鎮守神としても定着したものである。