荒田神社(岩出市) 歴史 概史
古い由緒は不詳。平安時代中期の『延喜式』神名帳では紀伊国 那賀郡(ながぐん)に「荒田神社二座」と記載され、式内社に列している。また『紀伊国神名帳』では地祇として「従四位上 荒田神」と記載されている。
『紀伊続風土記』(きいぞくふどき/きいしょくふどき。江戸時代の紀伊国地誌)では、祭神を荒田直の祖である高魂命と剣根命とし、のちに兵庫県の廣田神社(ひろたじんじゃ)と同じく天疎向津姫命・神功皇后・応神天皇としたとする。この天疎向津姫命は天照大神の荒魂であることから、荒田神社は荒神信仰から成立したと考えられている。同書によれば、天正年間(1573年-1592年)の兵火で焼失したという。
明治に入り、近代社格制度では村社に列した。