雷獣 雷獣の姿 ②
江戸時代の随筆『閑田耕筆』(かんでんこうひつ)にある雷獣は、タヌキに類するものとされている。『古史伝』でも、秋田にいたという雷獣はタヌキほどの大きさとあり、体毛はタヌキよりも長くて黒かったとある。また相洲(現・神奈川県)大山の雷獣が、明和2年(1765年)10月25日という日付の書かれた画に残されているが、これもタヌキのような姿をしている。
江戸時代の国学者・山岡浚明(やまおか まつあけ)による事典『類聚名物考』によれば、江戸の鮫ヶ橋で和泉屋吉五郎という者が雷獣を鉄網の籠で飼っていたという。全体はモグラかムジナ、鼻先はイノシシ、腹はイタチに似ており、ヘビ、ケラ、カエル、クモを食べたという。
享和元年(1801年)7月21日の奥州会津の古井戸に落ちてきたという雷獣は、鋭い牙と水かきのある4本脚を持つ姿で描かれた画が残されており、体長1尺5,6寸(約46センチメートル)と記されている。享和2年(1802年)に琵琶湖の竹生島(ちくぶしま)の近くに落ちてきたという雷獣も、同様に鋭い牙と水かきのある4本脚を持つ画が残されており、体長2尺5寸(約75センチメートル)とある。文化3年(1806年)6月に播州(現・兵庫県)赤穂の城下に落下した雷獣は1尺3寸(約40センチメートル)といい、画では同様に牙と水かきのある脚を持つものの、上半身しか描かれておらず、下半身を省略したのか、それとも最初から上半身だけの姿だったのかは判明していない。
明治以降もいくつかの雷獣の話があり、明治42年(1909年)に富山県 東礪波郡(ひがしとなみぐん)蓑谷村(みのだにむら)(現・南砺(なんと)市)で雷獣が捕獲されたと『北陸タイムス』(北日本新聞の前身)で報道されている。姿はネコに似ており、鼠色の体毛を持ち、前脚を広げると脇下にこうもり状の飛膜が広がって50間以上を飛行でき、尻尾が大きく反り返って顔にかかっているのが特徴的で、前後の脚の鋭い爪で木に登ることもでき、卵を常食したという。
昭和2年(1927年)には、神奈川県伊勢原市で雨乞いの神と崇められる大山(おおやま)で落雷があった際、奇妙な動物が目撃された。アライグマに似ていたが種の特定はできず、雷鳴のたびに奇妙な行動を示すことから、雷獣ではないかと囁かれたという。