吉備津彦命 伝承・信仰 ①

 


上述の吉備津神社岡山県岡山市備中国一宮)の縁起として、吉備津彦命が吉備平定にあたって温羅(うら・うんら・おんら)というを討ったという伝承が岡山県を中心として広く知られる。これによると、温羅は鬼ノ城(きのじょう)に住んで地域を荒らしたが、吉備津彦命は犬飼健(いぬかいたける)・楽々森彦(ささもりひこ)・留玉臣(とめたまおみ)という3人の家来とともに討ち、その祟りを鎮めるために温羅の首を吉備津神社のの下に封じたという。この伝説は物語「桃太郎」のモチーフになったともいわれる。吉備地域には伝説の関係地が多く伝わっているほか、伝説に関連する吉備津神社の鳴釜神事(なるかましんじ)上田秋成(うえだ あきなり)の『雨月物語(うげつものがたり)中の「吉備津の釜」においても記されている。



この伝承では、温羅は討伐される側の人物として記述される。しかし、吉備は「真金(まかね)吹く吉備」という言葉にも見えるように古くからの産地として知られることから、温羅は製鉄技術をもたらして吉備を繁栄させた渡来人であるとする見方や、鉄文化を象徴する人物とする見方もある。また、吉備津神社の本来の祭神を温羅と見る説もあり、その中でヤマト王権に吉備が服属する以前の同社には吉備の祖神、すなわち温羅が祀られていたとし、服属により祭神がヤマト王権系の吉備津彦命に入れ替わったと指摘されている。